自著を語る

『科学技術大国ソ連の興亡−環境破壊・経済停滞と技術展開−』
著者/市川 浩
 (A5判,208ページ)3,700円(本体)
 1996年/勁草書房

文・ 市川 浩


はじめに

 『現代技術とソ連「社会主義」』、ないしは、今津健治先生の大著『近代日本の技術的条件』にあやかった『ソ連「社会主義」の技術的条件』というのが、当初計画していた本書の題名である。現在の題名に落ち着いたのは、出版社の販売戦略によるところ大である。
 出版社の意向と言えば、もともと本書の見切り発車的な刊行を決意させたのも、「ソ連ものは頑張ってもあと二年」、「そのうち、“ソ連”などという国があったことを歴史の授業ではじめて聞く世代がやってくるのですよ」という編集者(ただし本書の出版元とは別の会社の)の一言であった。
 だから、研究のひとつの総括・集成としての完成度を問われると、文字通り内心忸怩たるものがある。それでも、自著を語れ、ということなら、幸いなことに学会誌や出版社系の雑誌で書評欄に取り上げていただいたので、まずはそれらの評言を借りるかたちで始めさせていただきたい。


二十世紀技術史通史、ロシア版

 本書のテーマは何か。兵藤友博氏が簡潔にまとめて下さっている。
 「産業革命期以来の機械化への移行は、二十世紀に入って生産技術体系全体の機械化・自動化を進める段階へと進展した。その新しい事業に、旧ソ連邦も資本主義国と同様にチャレンジした。その意味で本書のテーマは、二十世紀技術史通史であり、そのロシア版である」(『経済』誌一九九七年四月号、一三七頁)。
 本書は、二十世紀の新技術の展開過程一般、人類が共通にかかえる技術問題を把握したうえで、旧ソ連独自の技術展開の理由、経過と帰結を考察して、「物的財貨の生産過程という国民経済の最も根底的な条件がいかなるものであったかという視点から二十世紀社会主義の経験を総括(本書八頁)」しようとしたのである。
 そして、それは「従来、ソ連研究者が、多くの技術・工学文献を読まなければならないゆえに避けてきた分野であり、一方、科学・技術関係者によっては、ロシア語という言葉の壁からごく一部の例外を除いて深く分析のなされることのなかったテーマ(梶雅範、日本科学史学会『科学史研究』第期第三十六巻、一九九七年夏、一二一頁)」であった。


「骨格」の追跡

 本書では、電力技術(原子力発電技術を含む)、鉄鋼技術、化学技術、機械技術(エレクトロニクスを含む)の四部門を取り上げている。
 二十世紀において重要な展開を見せた分野としては、他に農業技術、電気通信技術や建築技術なども挙げられよう。また、第二次世界大戦と東西冷戦のなかで著しく肥大化し、現代の「リヴァイアサン」となった軍事研究開発の問題はとくに重要で、今後、ソ連邦の解体という事態を受けて新たな事実発掘・分析が旺盛に繰り広げられるようになるであろう。
 これらについては本書でも部分的に触れている。しかし、わたしは、先に挙げた四部門の技術を、一つの国民経済をエネルギーと素材の面から支え、それらの利用と加工を根底で規定する意義をもったものととらえ、その形成と相互連関を追跡して、旧ソ連邦という一つの「社会的生産有機体」の「骨格」を明らかにすることに努めた。


合理と不合理の両義性

 個々の技術問題の検討にあたっては、そもそもの技術選択における合理性の基準を理解したうえでそれが否定的な帰結をもたらさざるをえなくなったアイロニカルな連関を解明する、という姿勢を貫いた。こうすることで、旧ソ連の評価に往々にしてつきまとう(しばしばイデオロギー的な)一面性を排除しようとした。
 たとえば、平炉の超大型化と改良が、初期のLD転炉に負けない高効率性を実現し、切削加工の比率が相対的に高い機械工業からの大量の屑鉄供給の継続などともあいまって、ながく経済的合理性を保ち続け、結果として、皮肉にも製鋼法の世界史的な転換に立ち遅れ、低生産性と環境破壊に呻吟することになったことなどは、この好例であろう。
 このような分析の積み重ねのなかに、旧ソ連邦の経済停滞、環境破壊と技術展開の連関のダイナミズムを解き明かそうとしたのが本書である。今後に多くの課題を残す書物ではあるが、多くの人にご一読をお願いしたい。



プロフィール        
(いちかわ ひろし)
◇一九五七年、京都市生まれ
◇一九八九年、大阪市立大学大学院経営学研究科後期 博士課程単位取得退学
◇一九九七年、博士(商学)、大阪市立大学
◇所属:総合科学部助教授社会文化研究講座
◇専攻:現代技術史

            




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