青年海外協力隊

   −モットーは「草の根レベルの協力」
  ガーナで見たもの  

文 写真・波方 望

 
水道、電気もない任地も

 平成七年十二月五日、総勢九名のピッカピカの新隊員が西アフリカのガーナ共和国に着任した。十二月といえば日本は冬だが、赤道からそう遠くないガーナは、「常夏の国」である。私たちは飛行機を降りるなり「暑い」を連発するほどの酷暑だった。
 空港から首都アクラの都心にあるホテルまで車で約十五分。街灯の少ない夜の町を眺めながら「暗いね」と話していると、JICA(国際協力事業団)の現地スタッフが「そう思うでしょ。でも、長期間自分の任地にいて、久しぶりにアクラに上京してくると、これが明るいと思うようになるんだよ」と言った。
 当時ガーナには五十〜六十名の隊員がいたが、水道と電気がともに供給されている任地は少なく、そのどちらもない任地も珍しくはなかった。
 私たち九名の同期隊員の中にも、一人だけ「水道も電気もない任地」に派遣された隊員がおり、つね日ごろから「水や電気がなくても頑張ってね」などと、皆でからかい半分に励ましていた。
 後になって、ほとんどの者が、たとえ設備があったとしても機能していなければないも同然、ということを思い知ることになるとも知らずに。  

授業風景



正直な生徒と、とてつもなく辛いスープ

 アクラでの一週間のオリエンテーション、ガーナ第二の都市クマシでの三週間の現地語学訓練(これはガーナ人家庭でのホームステイ形式で、いろんな意味ですごかったのだが、長くなるので割愛する)、そして先輩隊員の赴任先の学校での教育実習 などを経て、翌年一月十七日、ようやく自分の任地アゴナ−スエドロへと赴任した。
 アゴナ−スエドロは、アクラから百キロほど離れた人口約六万人の地方都市だが、アラクには近い方で、隊員の任地としては大きい町だった(特に、理数科教師の任地は、その多くが農村部であった)。
 配属先は、ビジネス、農業など四つのコースからなる公立の実業高校で、全校生徒が約六百名の全日制の学校であった。そこで私は理科を担当することになっていた。
 ガーナの公用語は英語であるため、授業も英語で行われている。私にとって大変だったことは、授業そのものよりその準備だった。学習指導要領と教科書を読み、授業でどんな例を取りあげるか、どんなふうに英語で言うか、こんな質問がきたら何て答えようなどと考えながら黒板用のノートを作っていった。
 生徒たちは、おもしろい授業だと騒がしいくらいに喜ぶのだが、つまらないと気がねなく寝たりするので、いつも気が抜けなかった。もちろん英語との格闘も二年間続いた。
 そんな私の楽しみは食事。トマト、玉ねぎ、オクラ、唐辛子、そしてパーム油があれば典型的なガーナのスープが作れる。ガーナ食は、スープなどに唐辛子をたくさん使うためとても辛く(たまに限界を越えている)、また油も大量に加えるためかなり高カロリーである(だから、おばさんたちはかなりの巨体)。
 主食はヤムやキャッサバなどの芋類やその加工品だが、米やコーンも食べるので、「日本人の主食は米だ」と言うと、きまって「毎日同じ物であきないの」と言われた。
 毎日でも食べたいほど現地食が好きだった私だが、スープは作るのに手間も時間もかかるため、自分で料理することはほとんどなく、もっぱら道端で売っているものをテイクアウトしていた。だから、ガーナ隊員の中でも五本の指に入る「自炊しない隊員(しかも女)」だったかもしれない。

アゴナースエドロのマーケット
 


自分の常識にとらわれないで…

  外国に移住すると、その国や地域に慣じむのに少なからず時間がかかる。そして、その適応には、だいたい決まったパターンがあるそうだ。
 その過程には、悪い所や嫌な部分ばかりが目についてしまう時期、「不適応期」なるものがある。それを克服し、嫌いな部分もひっくるめて現地の人々や生活を受け入れることができるようになると、「適応期」に達する。もちろん、これに当てはまらない人もいるだろうが、私は同じような経過をたどった。
 青年海外協力隊のモットーは、「草の根レベルで協力する」こと。現地の人々と生活や仕事を共にするから、現地の人々とうまくいかないと非常に活動しづらくなる。しかし、自分を受け入れてもらう以上に、相手を、そして異文化をそっくり受け入れるのは難しい。だから、私が一つだけアドバイスするとしたら"flexible"… 頭を柔軟に保つこと。自分の常識にとらわれすぎないこと。国、人が違えば当然その常識も違ってくるはずなのだから。




 プロフィール
(はかた・のぞみ)
◇1972年 広島県生まれ
◇1994年 広島大学生物生産学部生物生産学科卒業了
◇1995年 青年海外協力隊平成7年度2次隊・理数科教師としてアフリカのガーナ共 和国に派遣される。
◇1998年 青年海外協力隊任期満了で帰国

任地引き揚げの日に学校のスタッフと

 

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