著者の母国フランスで死刑が廃止されたのは一九八一年九月のことである。本書がもし類書にない特徴があるとすれば、廃止に至るフランス人の苦悩の思想史を描いている点だろう。
高校生の頃に見た『アルジェの戦い』(La Battaglia Di Algeri, 1966・ジロ・ポンテコルヴォ監督)という映画の記憶が今も鮮明に残っている。薄暗く長い廊下を両腕をとられ引きずられていくアリ・ラ・ポワンの後ろ姿。つぎつぎに開かれていくドア。一番奥の部屋でワイシャツの襟元を切りさかれ、台のうえに倒された瞬間に落下する刃。
ギロチンが現代に生きているという驚き。革命時代の狂気の遺物ではなかったのか。
地方の一高校生が加藤周一や渡辺一夫を読んで作り上げていた文化国家フランスというイメージを一気に崩壊させてしまったこの映画のインパクトが三十年を経て死刑という重いテーマをめぐる本書の訳出の契機となっていることは否めない。
フランスにおける死刑廃止にあたっては、ミッテラン政権の法務大臣ロベール・バダンテールの尽力によるところが大きい。当時の世論調査でなお死刑存続が六〇%を超える状況のなかでのことだ。
氏は来日講演のなかで「民主主義とは世論に追従することではない。市民の意思を尊重することである。国会議員たちは、自分たちの政治的見解をはっきり打ち出し、選出されたうえで突き進むことが必要だ」と語る。著者も、民主主義の問題を提起して本書を締めくくっている。わが国において死刑制度の存廃をめぐって近年ますますその議論の高まりを見せているなかで、日本人にとって民主主義とは何かをあらためて真摯に問うてみることが必要なのではないかと思っている。
アンベール先生のこと
著者のアンベール教授は一九一九年生まれで、来年は八十歳を迎えられる。パリ大学法学部教授、ヴェルサイユ学区長、パリ第二大学長などを歴任、現在はフランス学士院会員、パリ第二大学名誉学長である。
専門は法史・ローマ法から、教会法、刑法、思想史、さらに教育関係と幅広い領域にわたる。フランスにおける病院(施療院)の歴史に関する膨大な「パイオニア」的研究を手がけられているだけでなく、医療施設改善といった実践的な政策にも大きな影響を与えておられる。
筆者にとっては大学一年の春休みに同じクセジュの『古代法』(Le droit antique, 1961)を読んで以来、論文や著作から実に多くのことを学ばせていただいた「師」でもある。白水社にペアでいかがと尋ねてみたのだが、残念ながら、わが『古代法』ノートは永遠に筐底に眠り続ける…。
共訳者のこと
共訳者の波多野敏さん(京都学園大学法学部)は西洋法史専攻で、主に十九世紀フランスにおける法的責任論についての研究を展開されている。昨年出版された『魔女狩りと悪魔学』(人文書院・一九九七年)の著者の一人でもある。大学の先輩後輩という関係だけで、無理を承知の共訳依頼を快く引き受けてもらったことにあらためて感謝したい。
フランス王令の調査など、氏ならではかなわぬ仕事ぶりにはおおいに勉強させてもらった。本書が日本語として少しでも読みやすく、また訳書として生命力を持ち続けることができるとすれば、それは波多野さんの大きな力の賜物であることはいうまでもない。
(原著名:Jean Imbert, La peine de mort, Paris, PUF.2e edition 1993.)