留学生の眼(65)

  平和公園と宮島と  

文 写真・ 殷   宏
医学系研究科

 

 子供の時、おじいちゃんとおばちゃんと一緒に暮らしていた。夏の夕暮れの庭園で、おじいちゃんが座っていて、その両膝の上に猫が一匹ごろごろと幸せそうに寝ていたことをよく覚えている。おじいちゃんは、若い時に日本へ留学したことがあったが、六十年たった今、孫娘の私も日本へ留学するとは思わなかっただろう。


※    ※    ※


 昨年の二月、広島に来た。北国の北京より広島の気候は暖かくて、やさしかっ た。でも、真冬だというのに、短いスカートをはいた女の子たちが町中にあふれていることには、さすがにびっくりした。
 到着した日の翌日に、いとこの姉さんの誘いで、日中友好の春節パーティーに参加した。餃子を作ったり、サラダを混ぜたり、お菓子を切ったりして、美しくておいしそうなものをいっぱい作った。
 そのパーティーの時、日本人のおじいさんと中国語でおしゃべりをした。すごく上手に中国語を話した。おじいさんが今でもまだ中国語を勉強していると言うので、なぜ中国語を勉強するのか聞いた。「さあ、どうかな。脳老化の予防と、いつも中国に関心を持っているからかな」と答えた。
 日本の年配の方は勉強することが好きなようだ。時間や経済的余裕があれば、関心があること、例えば、外国語会話とか、芸能とか、やさしいスポーツなどやりたいことをすると聞いた。


※    ※    ※



 アパートの隣部屋の中国人の先輩はとても親切な人で、「日本に来たのなら、 有名なところへ行かないと後悔するよ」と言って、いつも広島のあちこちへ遊びに行こうと誘ってくれた。
 初めて行ったところは平和公園だった。京都は古いお寺や庭園で有名だけれど、広島が有名な理由は、原爆のことだと思った。だから、広島では平和公園へ行かなければいけないと思った。
 「寂しい時にここへ来ると、気持ちがよくなるよ。広いところへ行くと、自分がやっぱり自分だとわかる」とその先輩が言った。
 それから次に行ったところは日本三景の一つ、宮島だった。鹿や猿や水族館の海洋動物がすごく人気だ。
 先輩のすすめで、動物たちにやる餌を買って持って行った。船から降りて宮島の土を踏んだとたん、すぐ目の中に、鹿の姿が飛び込んだ。座ったり、食べたり、散歩している鹿があちこちに見うけられた。
 用意した食べ物をだすと、不思議なことが発生した。あちこちの鹿が全部私の方に走ってきたのだ。逃げたいけれど、もう逃げる場所がなくなった。服も、靴も、しっかりかまれてしまった。
 幸いなことに先輩が「食べ物をこっちへ渡せ」と言ってくれたので、餌を投げて渡した。先輩はすぐその食物を服の中に隠して、何事もなかったかのように歩いて行った。目標がなくなった鹿たちはどんどん散って行った。怖かったけどおもしろかった。でも、いつも素直でおとなしい鹿がこんなに強いとは思わなかった。その時撮った写真はいい思い出だ。

あっという間に集まってきた宮島の鹿



※    ※    ※



 去年の四月に、いとこの姉さんも隣人の先輩も卒業して、日本から去った。そ れから今までの一年間に、うれしい時もあったし苦しい時もあった。寂しい時にはいつも、平和公園へ行って、広い広場のそばに座って、想いを巡らせた。
 草むらのうえには、鳩の群がいた。食物を探したり、休んだり、夫婦の二羽が愛したりしていた。かわいい日本人の子供が一人、広場の中を笑いながら走っていた。まだ上手に走れなくて、パタンと転んでしまった。お母さんがやって来て、「早く立って、きれいにしてね」と言った。すると、子供の顔に泣き出すような表情がすぐなくなって、立ち上がり、もとのように笑って走って行った。
 暖かい太陽がいつものように照り輝いていた。

 
プロフィール        

(イン・ホン)
◇一九七二年三月中国北京に生まれる。
◇一九九五年七月中国北京医科大学卒業
◇一九九五年八月〜九七年二月中国予防医学科学院に勤務
◇一九九七年二月〜九八年三月広島大学で客員研究員として在籍
◇一九九八年四月から広島大学大学院に在学中
              



広大フォーラム30期3号 目次に戻る