もう一つの甲子園   

第四十三回全国高等学校軟式野球選手権大会に出場して

文 ・三河 宏(Mikawa, Hiroshi)
(附属高等学校軟式野球班部長)

 第四十三回全国高等学校軟式野球選手権大会に、広島大学附属高等学校軟式野球班は国立大学附属高校として初の出場を果たすことができました。
 全国大会は各地区から勝ち抜いた十六チームが参加し、毎年兵庫県明石公園球場と高砂市営球場を舞台に覇を争う「もう一つの甲子園」として高校球児のあこがれの場となっています。硬式と異なり派手さはありませんが、全国から約六百校が参加して全国大会を目指します。今年は十六チームのうち初出場は四チームで、我が附属はその中の一校として参加し、一回戦を勝ち抜き二回戦では中京商業に敗れましたがベスト八に残り、国体の出場権を得ました。

 
全国大会までのあゆみ

 全国大会に出場するためには二つの大きなハードルを越える必要があります。その第一は広島地区大会で二校に勝ち残ることです。広島地区大会には約二十チームが参加し、呉二河球場で七月二十七日から三十一日の間、熱戦が繰り広げられました。附属は二回戦から登場し、呉工業高校に序盤四点を先取し後半相手の反撃を一点に押さえて勝ちました。
 準々決勝は強豪の広島商業と対戦しました。初回三点を先取されたものの、その裏と二回の裏に三点ずつ取り、その後の反撃を岡村の好投で一点に押さえ六−四で勝利しました。
 準決勝では優勝候補の崇徳高校を破った広島学院と西中国大会の出場を賭けて戦いました。序盤一点を先取したものの、相手に二点を奪われ苦戦しましたが、中盤から後半にかけて一点ずつ取り、岡村の好投で三−二で逃げきり、勝利しました。
 全国大会への第二のハードルは西中国大会で優勝することです。広島県からは本校と広陵高校が、山口県からは田布施農業高校と田布施工業高校が出場し、八月八・九日の両日、柳井市民球場で激しい戦いが行われました。我が附属は準決勝で田布施工業に岡村を中心とする堅い守備で三−〇と快勝し、決勝では、実力ではやや上の広陵高校に全員野球で三−一と勝利しました。西原監督(十五年前の私の教え子)は私に抱きつき「やった、やった」と大きな声で叫びましたが、私は意外と冷静で「これからお金がかかる」と思いました。そして、十五年前の決勝で広島商業に負けた借りをやっと返せた、と心の中でつぶやきました。

西中国大会優勝(柳井市民球場にて)



全国大会での戦い

 全国大会に向けての練習は八月十一日から始めましたが、毎日・朝日・中国の各新聞社や各種のスポーツ新聞社から連日の取材申し込みに追われる日々を過ごしました。国立大学附属では初出場と言うことで、原田学長からも激励を受け、選手たちは全国大会までいい練習を重ね本番に臨みました。ベンチを預かる我々としては、「平常心」で闘い、勝敗にこだわらず、自分たちの力を出しきることを常に念頭に置くよう選手に言い続けました。大舞台で実力を出せないまま終わることを恐れたからです。
 一回戦は八月二十六日高砂市営球場で北海道工業と対戦しました。序盤押し気味に試合を進めましたが、相手に二点を先取され劣勢に立たされました。しかし、後半走者をためてタイムリーを放ち一気に逆転し、六−三で初陣を飾れました。ホームプレートに選手が整列し、校歌を斉唱し校旗が掲揚されたときは、心にこみ上げるものを禁じえませんでした。応援に来ていただいた方々、選手、ベンチ全員が一体となって校歌を歌ったことは生涯忘れられない思い出になると思います。
 ベスト八に残り、翌日は明石公園球場で全国優勝した中京商業と対戦しました。選手は、先制しよく闘いましたが、中盤からじわじわ追い込まれ一−五で敗れました。しかし、大会本部からよく健闘したことが認められ国体出場の報告を受けました。

第43回全国高校軟式野球選手権大会入場行進(明石公園球場にて)
 


戦いを終えて

今回の全国大会出場で、多くの人に御尽力を頂きました。特に、校長室、事務室、保護者、OB、高野連、大学関係者の方々に深く感謝申し上げたいと存じます。今後とも御指導、御鞭撻をお願い申しあげます。



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