「民事判決原本」拾遺 |
「広島県裁判所」てなんだろう。わが国の近代的法=裁判制度は、明治維新以後、欧米から摂取しながら発達していったものだが、とりわけ明治四(一八七一)年七月十四日廃藩置県断行を境に、三権分立の思想を軸として強力に、それらは明治政府の手で実現していった。 しかし、明治初期の頃の法=裁判状況には、ことに、中央から地方に目を転じるならば、不明な部分が多い。 たとえば、筆者らが昨年七月行った、広島地方裁判所所蔵の、明治期に限定した民事裁判史料の共同調査で、明治五年から同九年中の『裁判申渡案』(写真1)に初めて接した。しかもその中で「広島県裁判所」(写真2)という、今まで郷土史関係の書物でも取り扱ったことがないと思われる裁判所名が見られた。明治五年から同九年代まで府県裁判所の設置が企図されながら全国的には実現せず、また設置された裁判所も、たとえば東京裁判所と府や県を付けないのが正式名称だった。 本稿の一では「広島県裁判所」とは何かを追及する。二では、判決原本のなかで見つけて興味をひかれた事件(写真3)を紹介する。なお、プライバシー保護のため、氏名は△△、○○等で示す。 |
中国地方諸県の行政と司法の融合 |
(写真1)広島地裁蔵 |
破棄される運命にある民事裁判史料 |
「廣嶋縣裁判所」とは… |
(写真2)「広島県裁判所」とある |
明治初期の行政と司法の混合未分離 |
「裁判所なき県」での苦肉の策 |
事件の事実関係 |
(写真3)第二條の末行に「婦人ノ権利」の話が見える |
判 決 |
本事件からみる「離婚」と「婦人の権利」 |
プロフィール (かとう・たかし) ◇一九三五年 京都市生まれ ◇一九六三年 京都大学大学院法学研究科修士課程修了 ◇広島修道大学法学部教授 ◇専門=民法。フランス近代家族法史に関心をもつ旁ら、フランス民法が明治期の民事裁判に「条理」として及ぼした役割にも関心を持つ。 |
(こんたに・こうじ) ◇一九四一年 富山県生まれ ◇一九六七年 京都大学大学院法学研究科修士課程修了 ◇広島大学法学部教授 ◇専門=民事訴訟法。裁判における手続保障の問題と裁判外紛争処理制度に関心をもって取り組んでいる。 |