発足した大学院先端物質科学研究科  

文・写真 山西 正道(Yamanishi, Masamichi)   
大学院先端物質科学研究科長

 大学院先端物質科学研究科(Graduate School of Advanced Sciences of Matter, 略称 ADSM)は、物質と生命現象を中心として「理学」「工学」の枠を超えた、学際的な教育・研究活動を行い、これを通じて、創造的な研究者・技術者を養成することを目的に平成十年四月に設立された新しい独立大学院組織です。
 また、ADSMは部分的ではありますが、広島大学では初の重点化された大学院大学の組織でもあります。
 ADSMの各専攻では、特色のあるカリキュラムを準備して、バラエティに富んだ分野出身の学生の教育にあたるとともに、教官と学生が手を携えて研究活動を行います。


 
 ADSMが目指すもの 
 今世紀に入っての科学と技術の発展はまことに目覚ましく、その結果、百年前には予想できなかったようなものが、次々と私たちの目の前で実現されることになりました。こうした発展は、科学と技術が相互に依存しあい、互いに密接な関係を保持しつつなされたものです。しかし一方で、現在の理工学の各分野では、高度の専門化と細分化が進み、自然発生的な科学と技術の相互交流はしだいに困難になってきています。したがって、これらの学問諸分野の健全な発展のためには、既存の枠を超えて学際的あるいは総合的な視点で人材を養成し、また研究活動をすることが非常に大切であると考えられます。
 実のところ、すでに半世紀以上も前に、理学と工学の融合化が自然になされた基礎研究が、私たち人類にすばらしい贈り物をしてくれました。それは、一九四七年、アメリカ合衆国の民間企業、ベル電話会社の研究所でなされたトランジスタの発明です(これについてもう少し詳しく知りたい方は、ADSMのホーム・ページ、http://www.adsm.hiroshima-u.ac.jp/ および広島大学工学部広報誌コミュニケーション、1997- vol.2, page1を御覧下さい)。
 もう一つの大切な考え方は、理学と工学の融合的な発展を知的資産への貢献として捕らえることです。基礎科学分野の発展を知的文化への貢献と捕らえうることは言うまでもないことですが、これに加うるに、応用上の新概念を文化の形にまで昇華させる視点に立って評価することも大変重要なことであると考えられます。
 これについても私たちは、素晴らしい実例を知っています。一九五〇年代になされたレーザー誕生の物語です。一九四〇年代に発展したラジオ技術の基礎をなす考え方(コヒーレント増幅および正帰還)を物理学者が学び取って、レーザーの着想に到りました(詳しくは、「歴史をかえた物理実験」霜田光一著(丸善)第九〜十一章をお読み下さい)。このような例は、理工学系の諸分野の中には、他にもたくさん存在するものと考えられます。
 こうした学際的な研究諸分野のなかでも、ADSMの教育・研究活動の二本の柱となる「電子や光子のような量子系の基礎科学とその応用」および「複雑系分子集合体としての生命体の物質的基礎と情報機能の解明」を追求する部分は、いずれも「基礎研究の深化と応用に動機づけられた研究の究極の到達点が自然に一致する」という意味で、従来の「理学」「工学」という枠ではとらえきれないユニークな性格を備えています。
 ADSMでは「理学」と「工学」の両者が融合し合った部分(量子物質科学、分子生命機能科学)を新しい分野としてとらえ直した専攻構成をもって、研究・教育活動が行われています。
 ADSMの教育・研究活動の基本的な精神は、前述の二つの実例から読み取っていただけると思います。ADSMでは、学際的で総合的な教育を通じて、創造的でかつ専門外の人たちとも十分に意志の疎通ができる研究者・技術者を養成することを目指しています。


図1 ADSMの専攻構成

図2 ADSMの組織と学部の関係



 特徴ある組織 
 ADSMは図1に示したように、量子物質科学と分子生命機能科学の二専攻からなっています。また、それぞれの専攻は四および二(大)講座から成り立っています。ADSMの教官組織の最大の特徴は、教官の学問的な背景がバラエティに富んでいることです。実際、図2に示すように教官の学部教育の担当は、総合科学部、理学部、工学部でなされています。
 また、学内の二つの研究施設(ナノデバイス・システム研究センターおよび遺伝子実験施設)に加えて、大学外にある国税庁醸造研究所の研究者も、ADSMの教官として活動します。こうした教官組織の学際性は、担当教官(教授二十五名、助教授二十三名、助手十九名)の学位称号にもはっきりとあらわれています。
 教官の学位は、理学博士、工学博士に加えて農学博士、学術博士と実に多彩で、しかも、異なる学位称号を持った教官が同一の(大)講座に所属して、教育・研究活動をしています。もちろん教官の専門分野も、物理学、電子工学、化学、分子生物学と多彩で、各教官の興味は、一つの専門分野の殻に閉じこもらず、複数の分野にまたがっています。
 ADSMのもう一つの特徴は、部分的ではあるが、重点化された大学院大学の形になっている点にあります。現時点では、図1の量子物質科学専攻のうち、物質基礎科学講座が重点化された形で、大学院(ADSM)に本籍を置いて、学部(理学部)教育を兼任担当しています。
 いずれにしても、この重点化という制度は、本学ではADSMで初めて現実のものとなりました。このことはADSMにとって大きな誇りであると同時に、今後、重点化を広島大学全体に拡げていくためにも、ADSMは、大きな責任を負っていると考えています。


 教育・研究活動 
 ADSMでは、量子物質科学と分子生命機能科学の両分野の教育・研究活動を学際的な形で行っています。その際、私たちは、「理学と工学あるいは物質と生命の境界を掘り下げる」を合い言葉にしています。こうした理念を実のあるものにするために、教育・研究の両面で、多くの異なる学部(理学部、工学部、総合科学部は言うに及ばず、農学、薬学関連の学部等)出身の学生をADSMに受け入れたいと思っています。
 そうすると当然、異なる背景を持った学生をどのように教育するかが問題となります。これを解決するため、博士課程前期のカリキュラムには幾つかの新しい試みがなされています。
 具体的には、複数の教官が担当するオムニバス形式の導入科目を設けています。すなわち、特別講義(各専攻の全教授がそれぞれの専門分野を概説し、学生に各分野の全体像をつかんでもらう)  概論科目(二〜三の概論科目を履修して、それぞれの学生にとって未知の分野のあらましを修得してもらう) 演習科目(広い領域にわたる問題に慣れ親しむ機会を与える)。これらを履修した上で、より専門的な講義を履修することになっています。
 また、学生の指導教官は一人ではなく、各々の学生が主指導教官と副指導教官(できるだけ主指導教官とは異なる専門分野の教官)から研究指導を受ける形になっています。なお、学位は、学生各自の研究内容に応じて、理学、工学、学術のいずれかの修士あるいは博士号を取得することになります。
 一方、研究活動では、各教官と学生が一体となって進めるなかで、それぞれの専門分野での自由な活動に加え、それぞれの専攻での共通の研究目標を持っています。当面の具体的な目標は、量子物質科学専攻では、「量子場機能の基礎と応用可能性(たとえば、量子場コンピューター)の探索」、また分子生命機能科学専攻では、「生命体のソフトウェアの解明をもとにした創る生物学」です。
 また、将来は、両専攻で共同作業するための目標を掲げたいと思っています。実際、研究の最前線では、物質と生命現象を扱う両分野は、次第に歩み寄り、分野間の境界はなくなりつつあるので、近い将来両専攻に共通の研究目標を持てるものと考えています。  次に、忘れてはならないのは、新しい切り口でなされる教育・研究活動に対する支援体制です。現在、本研究科の教育・研究棟はまだ建設されていません。支援体制としての事務部は理学部事務棟地下一階に設置され、少数精鋭の九名の方々がADSMの事務担当者として活動しています。特筆すべきこととして、ADSMでは、学生、教官への連絡は、やむを得ぬ場合を除いて全て電子メールでなされることです。
 また、各種の会議の回数、および所要時間を少なくするための種々の工夫がなされています。この新しい切り口の支援体制は、教官の教育・研究活動のための時間を確保するために重要な役目を果たしつつあります。
 ADSMは、半年前の発足以来、「理学と工学あるいは物質と生命の接点を掘り下げる」を合い言葉に、教育・研究活動を推し進めてきました。本学で初めての重点化された大学院大学組織として、今後ますます大きく活動の輪を拡げていきます。その一貫として、ADSM内の重点化された部分の寸法をさらに大きくしたいと考えております。皆様のご支援をよろしくお願いします。
 また、こうした新分野の発展に貢献しようとする意欲のある学生の入学を歓迎します。ホーム・ページ http://www.adsm.hiroshima-u.ac.jp/ にぜひアクセスしてみて下さい。
 末筆になりますが、設立にあたり御尽力いただいた原田学長をはじめ関係各位に心から感謝申しあげます。


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