自著を語る

『支配の文化史』
著者/岡本 明
 (A5判,320ページ)3,500円(本体)
 1997年/ミネルヴァ書房

文・ 岡本 明


支配の文化とは

 この論文集を作るにあたって、まず私たちは支配には二つの形式があることから議論しはじめました。立法・行政(金融)機関などの具体的な権力装置を通じてのそれがあげられますが、いま一つ、儀礼式典、装身具、象徴的行為などや、特定の価値観を拡げる宗教や功績による上昇志向を意味するメリトクラシー、一定のプログラムと装置をともない対象を順化・嚮導する教育、さらに、結社(クラブ、サークル)や労働組合などの組織がこれらとかかわりあい、支配をソフトな面で支えています。このソフトな支配の領域に踏み込むことで、わたしたちは近代西欧国家の支配の「か らくり」を解こうとしました。次に、「ヘゲモニー」という概念を用い、共通の了解を確認しました。それは要するに、前述のような行為、原理や組織を通して互酬=温情、保護とそれに対する恭順、支持関係を築き支配を持続させるのだと言えます。そうするとわたしたちの作業は、ヘゲモニーが行使される歴史諸局面を探ることだということになります。


イギリス、フランス、ドイツを見て

 惜しいことに、個別論文をいくつかのテーマに即して紹介するだけのスペースがありません。そこで、背景として、英仏独三国内部のヘゲモニーの移行・変遷を振り返るに留めます。
 イギリスは二十世紀初頭まで、貴族地主およびそこから派生する階層と、中流上がりの専門職からなる階層とが共通の生活スタイル・趣味・教養をもって構成するジェントルマン(二十世紀はじめには、文字どおりジェントリなきジェントルマンになるのですが)のヘゲモニーが継続した国です。この国の歴史は、したがってブルジョワジーという概念を用いずに説明できるのです。
 これにひきかえフランス史では、ブルジョワジーという言葉は死語ではありません。この階級は結局、貴族と社会的・文化的に融合せず、アイデンティティをもとうとしたからです。しかし、かれらは、確かに一七八九年人権宣言で貴族への上昇志向をいったん切りはしましたが、一八〇八年のナポレオンの帝政貴族の授爵に与かろうとひしめいたことからもわかるように、志向は潜在的には残っていたのです。ナポレオンはそれを巧みに利用し、党派解体へ、社会の安定要因へとつなぎました。文民であれ、軍人であれ、それは個人的な功績によるものでしたから、決して旧体制貴族の復活ではありませんが、永代爵位を伴っており、旧体制の残像のようなものでした。そして長い格闘の末、第三共和政の成立のさらに十年近くも経過して漸く、付随シンボルを伴った共和政を軸に、農民や民衆をも束ねうるブルジョワ・ヘゲモニーが確定します。
 ドイツだけは、第二帝政時代、ユンカーも産業ブルジョワも単独でヘゲモニー階級とはなり得ず、融合も部分的でした。社会民主党の台頭後、ユンカー層と産業ブルジョワが歩み寄るとはいえ、両者の境界は消えませんでした。ヴァイマール期になっても、重工業資本家層以下の小市民層までのブルジョワ諸社会層の与野党への分離、社会民主党の統合政党への脱皮の限界があり、反ユダヤ・民族排外主義の強まる中で、ヘゲモニーの非確立ということがひきだせるのではなかと思います。


従来のコメント

 われわれの視点から副産物としてこれまでの西洋史研究にコメントできるものはなんでしょうか。イギリスでは下からの改革が行われた国では決してないことが再確認されますが、しかし井内論文が清教徒革命の意味をそれなりに把えていることは、この変革に大きな意味を見いださなくなった最近のイギリス史学の傾向とは少し違う点であり、注目されます。またフランスこそは下からの革命が貫徹した国と、あまりにもしばしば見なされてきましたが、ブルジョワジーは革命の各段階ごと(ジャコバン独裁期だけでない)に民衆との質の異なる提携を行ったが、結局ボナパルティズムに頼らざるを得ず、しかもそこでは平等主義の中味が大きく変質してしまった。旧来のフランス革命史学にたいして指摘したいのはこのことです。
 ドイツ史では二十世紀になってもヘゲモニー階級の不在ということが、もしやナチズムの台頭と関係があるのでは、と考えられないでしょうか 。もしそうだとすると、「市民革命が徹底して戦われたか否か」とは、ちょっと別のところから現代ファッシズムの出現が説明されうるのではないかとも思われます。


残された仕事

 私たちのもとにはすでに、国家間の本格的な比較の必要を指摘する声が届いています。例えばいろいろな「帝国」支配の類型からヘゲモニー論を引き出せないかと思っています。つまり、本書の東田論文でなされたことを、もう少し、実体的な方に押し入って、重商主義、自由主義、帝国主義の各時代にわけ、経済政策史的な観点にとらわれることなく、パターン化できないだろうかということです。例えば、このうちの第一の時期であれば、ナポレオン時代のフランスとドイツの関係を、閣僚主導の改革とこれへの反応という問題枠で論じてみることです。
 わたしたちの射程は、西欧の三国に限られています。他のヨーロッパ、アメリカ、それに日本では何が問題になるのでしょうか。儀礼と象徴の問題を幕末・維新期の天皇に即して考察してみたら、と考えます。君主を処刑した経験をもつイギリス・フランスと、逆に君主を権威づけした日本とでは近代の質は全く違うのかという問いを絶えず抱き、最近強調されている、幕末における朝廷の権威の急浮上の事実に注目したいものです。その中では、孝明天皇と明治天皇の宮廷儀礼を巡る対応の違いは見落とせないでしょうし、明治天皇が天皇親政の道をとることなく、大臣との関係を自ら律した点も重要ではないかと考えます。要するに、一度出版したらそれでおわりではなく、それが新たな始まりという気持ちで、隣接地域や近接時代の研究者と接点を探りつつ、さらに先へ進みたいと思っています。
プロフィール        
(おかもと・あきら)
◇一九四三年 大阪府生まれ
◇一九七二年 京都大学大学院博士課程西洋史学専攻中途退学     
◇一九九○年 博士(文学)広島大学
◇所属=文学部世界史学講座
◇専門分野=ヨーロッパ政治社会史

            




広大フォーラム30期4号 目次に戻る