意義ある広大生活にするために
文・石崎和法
広島信用金庫事務部長
テレビや新聞のマスコミは、連日のようにわが国の経済不況と金融安定化について報じています。金融業界に身を置く一人として、今後の成り行きが大変気になるところであり、政策決定に携わる人の良識のある決断と、素早い実行を期待するところです。と同時に、我が身に置き換え、事に当たっての問題解決力を養うことの重要性を痛感しています。
卒業後二十八年、この原稿を書くに当たり、同窓会名簿を取り出し、学生時代を思い出し懐しんでいるところです。私の在学中の四年間(昭和四十一年入学)は、学園紛争の激しい時代であり、学部単位の取得は大部分がレポートによるものでした。卒業証書も学部の建物内で慎ましく授与されたことも今昔の感があります。
進学の目的や卒業後の進路を特に意識できていなかった私は、呉市の当時の平均的な高校生として、当然のように広大入学を目標にしました。母親の教育の影響により、主体性や独立心は早くから芽生えていましたが、反面、自分の進路については特別な思いもなく、広大への入学そのことが、最大の目標になっていたように思い出されます。このことと、大学の授業に対する安心感の二つの理由から、私の大学四年間の過ごし方には後悔が残ります。とりわけ、高校時代に身に付けた「努力する姿勢」を大学時代に継続できなかったことと、基礎的学力の上に「社会人として必要な能力を積み上げる」努力をしなかったことの二点です。
社会人として必要な能力を積上げ る
終身雇用が崩れつつあり、能力主義を全面に出した人事体系の導入が企業内で進んでいます。従来にも増して、個人の能力が強く求めれています。職種により異なりますが、問題解決能力、論理的思考能力、提案力や説得力、はたまたパソコン利用技術や語学力等々、大小幅広いものです。
「普通の人が一年間努力すれば大抵の事は、人並み以上になれる」と社会人向け教訓を目にしたことがありますが、幸いに学生時代は時間的余裕が十分あると思います。「社会人として必要な能力を身に付けるために、学生が意識して、入学後の早い時期から自由な時間を割くこと、その事をやらざるを得ない大学としての環境づくり」も、企業の現状を見るとき急がれるテーマと思います。
勝者になるための条件の一つに、個性化・独自性が求められています。バランスに富んでいるが、個性に乏しく、活力のない人より、荒削りでも何かをやりそうな個性的な人に魅力を感じる時代になっています。持てる長所を伸ばす個人的な努力と、それをサポートするカリキュラムづくりに期待するところです。
仕事について
金融ビックバンの言葉に象徴される金融自由化の中にあって、地域に根ざし、共存共栄を目指す信用金庫のコンピュータ部門に勤めています。一握りの人の道具であったコンピュータが、パソコンの普及により一般的なものになり、それにつれてコンピュータ部門の企業内での位置づけが変化してきました。主力産業の変遷と企業の盛衰が歴史的に繰り返されていますが、それに似たものを感じ興味深いものです。
組織の仕組みとその動きを分析し、そこに存在する問題を発見し、改善策を検討する人、プログラムをつくる人、コンピュータを運用管理する人等、細分化された仕事をチームワークを保ちながら運営していくことが主要な仕事です。
日本版ビックバンを乗り切るために、事務フローの改善を通じて、合理化・省力化を早急に進めることが当面の大きな課題ですが、外部コンサルタントの導入による動きが始まっています。成果に対する不安も大きいですが、意欲十分な今日この頃です。
私の卒業時は、就職には恵まれた時代であったが、なぜかゼミの先生は地場企業への就職を勧めていたことを思い出します。また、変革の時代にあって、進路を決めるに当たっては自分で本当にやりたい道を選ぶことの大切さを説く人はたくさんいます。
自分自身にとっては、一度の人生です。病気、勤め先の倒産等、人生はどこでどのようなドンデン返しに合うかわかりません。「今日できることを明日に延ばすな」、「有難し」の意味に、その時初めて感じ入るものですが、悔いのない学生生活にするために、四年の貴重な時間を、社会人としての基礎づくりのために生かしていきたいものです。
プロフィール
(にしぐち・ちとし)
◇一九四八年 出生
◇一九七○年 広島大学政経学部卒業
◇一九七○年 日本NCR入社
◇一九七三年 広島信用金庫入庫 事務部勤務
◇一九九三年 中国地区信用金庫共同事務センター出向
◇一九九七年 広島信用金庫 本店営業部副部長
◇一九九八年 同 事務部長
前列の真中が筆者
広大フォーラム30期4号
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