二十一世紀─
変化と実力主義の時代に向けて


文・中野 卓司
三井物産株式会社
中国支社長

 今回「広大フォーラム」への寄稿を依頼されまして自問自答。「自分は卒業生として意見を言えるほど現在の広大・広大生を良く知っているのか」「広大に誇り・愛着を持っているか」等々。自分自身の答えはむしろ否定的でクリントン大統領ではありませんが、「不適切」な助言者ではないかと懸念。しかし、一方で同窓会等への卒業生の出席状況の悪さ等をみますと、自分が一般的な広大の卒業生で、この立場から逆に後輩の皆さんに助言できる点があるのではないかと考え、寄稿させていただきました。
 私は、広島生まれの広島育ち、一九六八年政経学部を卒業しましたが、妻は広大医学部卒業、就職後結婚したときも会社の上司ではなくお世話になった故砂川経済学部長御夫妻に仲人をお願いしました。前川経済学部長は広大テニス部の先輩です。野球も根っからのカープファンで典型的な広島人です。
 三井物産に入社しましたが、配属は当時鉄鋼業の急激な伸長にあわせ、輸入業を拡大していた石炭部でした。一九七五年から約一年間カナダ、米国に研修員として滞在、七七年末から約五年間ニューヨークに滞在、東京に帰り、八八年末から三年弱豪州シドニーに駐在、その後中国電力等電力会社向輸入一般炭商内に携わって九六年四月中国支社配属になり広島着任、現在に至っております。
 海外経験が長いと英語は上手だろうと思われるでしょうが、残念ながら帰国子女でもなく、仕事を通じて冷汗をかきながら習った拙い英語です。英語は表現力よりもむしろ話す内容に外国人は耳を傾けます。ただ海外で生活すると、日本人であることを強く意識します。外国人(本当はこちらがその国の外国人)になめられてたまるか、これでは日本は馬鹿にされる等々、変な愛国心がつくようです。


広大を愛する学生を

 広島では初代体育会幹事長を務められた山根木材・山根社長のように広大、特に広大ヨット部をこよなく愛される先輩に知己を得ましたが、こういう方は比較的少ないようです。原田学長が「広大生は今後できるだけたくさん良い会社に入って活躍すべきである。それが広大の評価を高める方法の一つ」と言われるのも、もっともだと思います。そうした広大を愛する卒業生を増やしていくべきでしょう。
 当社には、福間副社長ほか、入社人数の割には、幹部として活躍しておられる方も多く、広大の先輩は頑張っておられると言えます。特に当社の場合「人の三井」と言われるように、学歴よりも能力重視・実力主義が風土としてあります。広大という比較的のんびりした環境で、じっくり勉強して思考力の基礎・実力を作り、社会に出て一生懸命頑張る人がいらっしゃるということだと思います。広大カラーというはっきりした特徴はわかりませんが、いわゆるガッツのある人が卒業生にはおられます。


学生の本分追求を

 金融を含め、現在は非常に変化の激しい時代で、グローバルスタンダードの中で競合できないと、企業として振り落とされる傾向が顕著です。我々の時代と違い、現在は共通一次とか偏差値等、入学時の学力で大学の差がつけられる変な仕組みになっていますが、当社に限らず、今後企業は実力主義でやっていかないと生き残れない時代に変わっています。広大生にとっては、かかる変化の時代こそチャンスで、広いキャンパス・施設・立派な教授陣等恵まれた環境の中で、学生時代にしっかり勉強して思考力の基礎・実力を作られることをお奨めします。
 広島に来て二年間、採用関係の手伝いをさせて頂きましたが、面接で学生のセールスポイントを言ってもらいますと、短期滞在による海外生活体験、アルバイトによる社会経験という説明が多いようです。スポーツも体育会運動部でなく、同好会でお茶を濁し中途半端で、それを自己宣伝の一つにするというのは残念です。本物志向の時代です。「私は三年間一生懸命勉強しました。優の数は幾つです」「運動部で本格的にスポーツをし、主将を務めました」等、いわゆる学生の本分追求をもう少しアピールされても良いのでは、という気がします。自分なりに何か一つ二つ強いものを作り、自信・ガッツを持つようになられるよう希望します。東京の学生と同じように、格好良く大学生活をエンジョイしながらも勉強もするでは、なかなか差がつかないし、特色が出てこないのではないでしょうか。
 先述のように、二十一世紀は変化に富んだ実力主義に時代になっていきます。広大生にはチャンスが広がってくると思います。広大生の皆さんの御研鑽・御健闘を祈念いたします。

プロフィール
(なかの・たかし)
◇一九四六年二月 出生
◇一九六八年三月 広島大学政経学部卒業
◇一九六八年四月 三井物産株式会社入社
◇一九七五年五月 カナダ・米国石炭研修員
◇一九七七年十月 米国三井物産ニューヨーク本店石炭課
◇一九八五年一月 三井物産株式会社石炭部アメリカグループ主席     
◇一九八八年十一月 豪州三井物産シドニー本店石炭部長
◇一九九一年十月 三井物産株式会社鉄鋼原料本部部長代理
◇一九九二年十月 同社石炭部電力炭室長
◇一九九六年四月 同社中国支社長




広大フォーラム30期4号 目次に戻る