開かれた学問(70)

   光通信工学と
    量子物理学の出会い   

文 写真・文・山西 正道


 量子物理学の知識は、現在実用化されている光通信技術の構築のために多用されてきた。しかし、その利用は現象説明理論の形で、いわば間接的な形でなされてきた。
 これに対して、最近、量子物理学の基本原理を直接的な形で通信技術に持ち込む二つの試みがなされている。それらは、スクイーズド光による通信と、量子暗号通信と呼ばれるものである。
 この新しい光通信(量子光通信)の技術体系を確立するために、いまや通信(もっと広く情報)理論と量子物理学の完全な融合化が図られつつある。

 



現在の光通信

光の波に乗せて多量の  情報を伝送できる光通信

 一九七五年頃より、光通信工学の将来性が、世に大々的に唱えられ、現在すでに多くの分野で、その有用性が認識され、実用に供されている。旧来の電波を用いる通信に比べ、光を用いる通信の第一の利点は、光(可視光および近赤外光)の振動周波数fが、通常の電波(マイクロ波、ミリ波)に比べて桁違いに高いので、原理的に多量の情報を光という波に乗せて伝送させうる点にある。
 光の性質を古典物理学の枠内でながめてみると、光は電波と同じように波である。したがって、その振舞いは波の振幅 Eo と振動周波数f および初期位相角θで完全に記述できる。すなわち、
Eo sin(2πft+θ)で、ここでtは時間である。


第一世代の光通信

 ところが、現在実用化されている光通信方式は、必ずしも前記の利点を生かしきったものではない。
 つまり、情報の送り手側は、情報をレーザ(半導体レーザ)から出る光の強度変化(を時間とともに変化させる)の形にして光ファイバーに送り込む。すると受け手側では、その強度変化を光検出器により電気信号に変換させて捕らえる、というものである。例えて言えば、懐中電灯を高速に点滅させて信号を送り、これを我々の目で認識しているようなものである。
 こうした振幅変調方式は、通信工学のなかでは最も原始的なものであり、これを第一世代の光通信と呼んでおく。
 一方、光通信以前にすでに技術体系が確立されている通常の電波を使用する通信においては、もっと洗練された通信方式が実用化されている。ラジオのヘテロダイン検波や、電波の周波数や位相φ=2πft+θに信号をのせる変調方式(周波数変調および位相変調)が広く実用化されている。


光の波動性が生かされる第二世代の光通信

 なぜ、八〇年代までの光通信では、このように光の波動性が十分生かされていないのであろうか。理由は、光源(半導体レーザ)から得られる光の波動としての性質が十分でなかった点にある。
 もっと具体的に言えば、半導体レーザから得られる光の中心周波数fや位相の制御性が十分でなく、前記のような電磁波の波動性をまともに利用する通信方式の実用化を阻止していた。つまり、レーザ光は、可干渉性(ひとくちに言うと、波としてのきれいな性質)の高い波動である光を出射するとはいっても、技術的な理由のために、前記のような目的に十分かなう光を出すことができなかった。  しかし、この分野の技術の進歩は目覚ましく、八〇年代後半になって、半導体レーザから得られる光の可干渉性は、前記のような通信方式、すなわち光周波数変調、光位相変調、光ヘテロダイン/ホモダイン検波、光周波数分割多重通信への応用を考慮しうるほどに改善されてきた。こうして、光の波動性を利用する第二世代の光通信は、まもなく実用に供されるものと思われる。

 以上のような光通信技術体系の構築に当たり、量子物理学の知識は確かに多用されてきた。しかし、その利用は、現象説明理論の形で間接的になされてきた。特に、光通信に利用する光そのものについては、古典物理学の枠組みで表現できるものを対象としてきた。ところが、最近になって、以下に述べるように量子物理学の教える光の不思議な性質を直接的に通信技術に利用する研究が盛んになってきた。


スクイーズド光による通信

雑音の限界を打破する新しい試み

 光通信技術が発展しきった暁には、何が問題になるのであろうか。
 電波による通信でも、光通信でも、その性能限界をきめるのは雑音である。信号に対する雑音量の比が一定値以上に保たれなければ、良質の通信とは言い難い。ところが困ったことに、光を量子物理学の目でながめてみると、そこには避けることのできない雑音が存在する。しかも、これは、原理的なもので、五〇年代のレーザの誕生以来、いかんともしがたいものと考えられてきた。
 しかるに、七六年頃より、この一般に信じられてきた雑音の限界を打破しようとする試みが理論的に指摘されはじめた。それは、光という量子状態そのものを人為的に制御し、その雑音レベルを極限にまで小さくしようとする試みである。
 以下、こうした新しい試みについて、簡単に述べてみる。
波動であり粒子でもある光の不思議な性質

 量子物理学の教えるところによれば、電子の運動量と位置を同時に正確に決定することは不可能であり、運動量の不確かさΔpxと位置の不確かさΔxの積は、プランク定数h以下にはなり得ない。
 
 同様な不確かさは、光のような波動にも存在する。例えば、光の波動振幅Eoと位相θを同時に正確に決定することは不可能である。しかも、光のような波動に量子物理学を適用すると、波動としての性質と同時に、粒子としての性格が生じ、光の強度(に比例)は、光のつぶ(これを「光子(こうし)」とよぶ)の数でもって、表現されることになる。
 このように波動であると同時に粒子であるというのは、我々の日常経験からいうと受け入れ難いことではあるが、実験事実は光がこの不思議な性質をもっていることを明確に示している。この光子の数の不確かさΔnと、波動としての位相の不確かさΔφの積は、次のような不等式を満たす。
 
 これらの不等式は、「ハイゼンベルグの不確定性原理」と呼ばれ、量子物理学の根本原理の一つである。


避けられないゆらぎによる雑音

 ところで、通常のレーザから得られる光は、「コヒーレント状態」と呼ばれるもので、その状態のΔnやΔφは、

になりうるが、どちらも完全にゼロというわけではない。従って、振幅変調方式を採るにしても、位相変調方式を採るにしても、

であるため、量子力学的なゆらぎによる雑音は、避けられないものとして残ってしまう。
 すなわち、ある決まった時間内に、決まった数(例えば百個)の光子を送り出したつもりでも、ある場合には一〇四個、また別の場合には九十六個、というように毎回平均数百を中心として光子数が変動してしまう(このような制御不可能な光子数の変動と、変調させるという人為的に制御した変化を混同しないでほしい)。しかもこの制御不可能な変動は、コヒーレント状態にある光子を使う限り、必ず存在する。


人工的に操作された光を使った通信の可能性

 現在実用化されている光通信では、情報の単位(一ビット)をになう光のパルスに含まれる光子数の平均値を十分に大きな数(例えば一万個以上)にして、光子数のゆらぎが目立たないようにしている。
 一方、将来の方向として、消費電力をできるだけ少なくするために、光のパルスに含まれる光子数はできるだけ少なくしたい。しかしそうすると、光子数のゆらぎが目立ってしまう。ここで、もし、光の量子状態そのものを制御することができれば、量子力学的ゆらぎによる雑音を極限まで小さくすることができる。
 例えば、

で、しかも

という状態を考えてみよう。
 このような状態は、前記の条件

に抵触しないので、原理的には可能である。このような状態にある波動の振幅(光子数)は、完全にある値に決まるが、その位相はまったくでたらめである。この量子状態のことを「光子数(確定)状態」という。
 この場合、振幅に信号を乗せる振幅変調(光子数変調)では、雑音が存在しないことになる(しかし、この状態にある光を使っての位相変調方式は、全く無意味になる)。しかも、こうした謎めいた光

を驚くほど簡単な方法で、半導体レーザや発光ダイオードを使って発生させうることが、最近になってわかってきた。
 このことは、量子ゆらぎが、人工的に操作された光(このような光を「スクイーズド光」と呼ぶ)を使った通信を実用化しうる可能性を示している。


量子暗号通信:盗聴不可能な通信

情報の暗号化

 次に、量子物理学のもう一つの基本原理に根ざしたもっと進んだ通信方式に話を移そう。
 一般に国家機密や産業上の重要情報を、通信技術を使ってやり取りしようとする時、秘密漏洩には特別な注意を払う必要がある。それは、情報のやりとりを傍受されないように特別な工夫をすることである。これを具体化する方法が情報の暗号化である。
 しかし、通信内容が傍受され続けると、暗号はいつか必ず解読されうる。特に、通信媒体に、古典物理学で支配される物理現象(通常の光通信に使われる強度が比較的強い光)を使う限り、通信の送り手や受け手に知られることなく、暗号を解読することが可能である。理由は古典物理学で表現される系では、測定(この場合、傍受または盗聴)をしても、対象物(この場合、光信号)には何の影響も及ばないからである。


少数光子を使った通信

 ところが、少数個の光子を使って通信をする場合には、事情が一変する。このような少数光子からなる光の場合には、古典物理学はもはや通用しない。少数光子系は量子物理学をもってはじめて理解できる。このような系を「量子系」と呼ぶ。
 量子系に対しては、測定(盗聴)を試みると、量子系は必ず変化を受ける。この変化は原理的なもので、盗聴者がどんなに技術を磨いても、避けることのできないものである。しかも、その変化量は量子系にとっては、ゼロか一かというくらいに劇的なものである。  そうすると、こうした少数光子を使った通信では、盗聴があると、送信された内容が途中で変わるため、受け手と送り手の間で別の通信路を使って頻繁に内容照合をすると、盗聴されたかどうかが必ずわかることになる。
 こうして盗聴された光子に相当する情報を捨てて、新たな暗号構成をすることによって、安心して通信を続けることができる(暗号化された通信内容の一部分を盗聴しても、暗号を解読することはできない。そのうち盗聴していることが発覚して暗号化の方法そのものが変更される。よって、暗号が解読されることはない)。
 ここに述べた量子物理学の根本思想である観測理論をもとにした新しい通信を「量子暗号通信」という。この量子暗号通信に関する実験研究も進みつつあり、今や実用の可能性が議論されつつある。


二十一世紀の通信となる量子光通信

   以上をまとめてみると、光を量子物理学に支配される物理現象としてみる量子光通信の場合には、信号の物理現象とそれによって運ばれる情報とを分離して考察することは許されなくなる。この点は、古典物理学に従う信号媒体の通信とは、根本的に異なる。
 すなわち、量子光通信の世界では、通信理論と量子物理学の完全な融合化が必要となる。この分野の研究は、実用という観点に立てば、まさに最初の一歩を踏み出したに過ぎないが、二十一世紀の通信というにふさわしい潜在的能力と、学問体系の深みを持ったものとして、今後の発展が期待される。
 最後に、本稿(特に後半)の内容は、抽象的で、しかも、日常経験と全くかけ離れたものであるため、専門外の読者にとっては、狐につままれたような話であったかも知れない。しかし、物理学や電子工学にたずさわる先鋭的な研究者たちは、この不思議な世界にどっぷり浸かって、日夜研究活動をしていることだけは知っていただけたものと思っている。  


 プロフィール

(やまにし・まさみち)
☆一九四一年 大阪府生まれ
☆一九六六年 大阪府立大学大学院工学研究科修士課程修了
☆一九七一年 工学博士(大阪府立大学)
☆一九八三年 広島大学工学部教授
☆一九八四年、一九八六年、一九八七年、一九九一年アメリカ合衆国パデュー大学客員教授
☆一九九七年 米国電気・電子工学者学会フェロー賞
☆一九九八年 広島大学大学院先端物質科学研究科長
☆現在の専門:半導体における量子光学現象と工学応用

 

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