生気に溢れ,学び,生きる力を取りもどすために 
−転学部の取扱いに関する細則の改正によせて−

文・植木 研介(Ueki, Kensuke)
教務委員会委員長

 「初志を貫く」という言葉がある。熟慮の結果、胸に抱いた目的に向かってまっしぐらに生きるさまは、まことに潔く、尊い生き方であろう。だが、と私は自分の人生を振り返って思う。人の時間の流れは、決断と選択の絶えざる瞬間の連なりからできあがっていると。
 何気ない日常の生活も無数の選択から成り立っているが、無意識のままに選び取って生きているのではあるまいか。ただ、人の体・心・知性の発達には個人差があるにも拘わらず、社会制度と、いつの間にか植えつけられた自らの意識によって、十代後半から二十歳代後半にかけて、人生の大切な決断と選択が矢継ぎ早にやって来てしまう。青春が、時に重く息苦しくもあるのは、そのためだろうか。
 たとえ自分の希望通りの大学に、希望通りの学部に入って、現実の学生生活を始めてみて、改めて自らの将来の進路をみつめるとき、自ら下した判断に迷いが生じる場合がある。心と体の成長のただ中にあるのだから、自己変革の結果としても、当然起こりうる。ましてや、心ならずも明確な目的意識を持たないで大学に入学した場合、どこかで決断、選択の迷いの時がくるだろう。広島大学の過去のデータから分かるように、転学部、転学科を考えて、一割弱の学生の人が、大学の相談室を訪ね迷い悩むのも、なるほど、と納得がいく。
 大学計画委員会が学内の活性化と流動化の一端として、学内での転学部を阻んでいる大きな壁である、転学部規定中の「転学部は、志望する学部の学科等に欠員がある場合に限り、許可することがある」とする、いわゆる「欠員条項」の撤廃を答申したのは平成九年七月のことだった。部局長懇談会での検討を経て教務委員会に細則原案作成の付託がなされたのは同年の十月である。
 各学部の教育理念の相違、カリキュラム編成原理の違い、コース・学科・専攻決定システムのずれを考慮すれば、いくつもの難問が横たわっていた。また三年次編入学を行っている学部もあるし、学士入学等のシステムとの整合性も考えねばならなかった。各学部から選出された委員が、学部の利害を代表し担わされるという立場にありながら、学生の視線から、真摯に取り組んでくださり、想定される混乱を一つひとつ防ぎつつ、実現を目指して論議を重ねていただいた。
 一時は無理かなと思わない時期がないではなかったが、足かけ二年の慎重さで、原案がまとまり、実行の段階になった。
 この新しい細則は、教官の側から言えば、志望された学部教授会の意思ができうる限り尊重される規定になっている。これとは別にチューターとして相談を受ける機会が増え時間をとられることがあるかもしれないが、学生の立場に立って共に転学部という選択と決断に加わっていただきたい。ゆきくれた学生が退学という道だけでなく、学内においても生気に溢れ、学び、生きる力を取りもどすために。
 また学生の人たちに心して欲しいことは、たとえ転学部を決心しても、皆さんの目的意識と、これまでの学内での勉学・研究の態度と内容が問われるということである。希望は叶えられないかもしれない。だが迷っている人がいたらチューターあるいは相談室へ足を運んでほしい。そこには何らかの出会いが待っている。
 教務委員長としては、転学部が実際にどの程度行われるのかが気がかりである。実験器具の数などを理由に、開きかけた門戸が閉ざされるのを恐れているからだ。特に医学部・歯学部には深い関心をもっている。両学部の病院には、患者として私自身幾度となく、お世話になっている。が、感謝の気持ちとこの話はちがう。
 医学部・歯学部が学部の特殊性を理由に全て学生の希望を断たれることがあれば、教授会の意思が尊重されるとはいえ、まことに残念に思う。人の命を、生きる力を守るところが両学部であると信じている私の杞憂を取り除いていただきたい。もちろん学生の人自身の内容が問題であるのならいたしかたないであろう。
 この新しい細則の行く末が学内の皆さんに喜ばれるように望みつつ。では。


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