文・藤谷 義信(Fujitani, Yoshinobu)
工学部教務委員長
広島大学において学生が所属している学部から他の学部へ移ること、つまり転学部がより可能になるように細則が一部改正された。
広島大学自己点検・評価委員会の調査では、一年生で「可能ならば転学、転学科したい」とする者や「退学・就職したい」とする者が一〇%近くいること、また、本学は一つのキャンパス内に多くの学部をもっており、学生の転学部に対して容易に対応できること、広島大学理念の一つである「絶えざる自己変革」に対応させるために、などが今回の転学部を認める背景となっている。
転学部が認められることにより、学生は一つの規制が緩和されたことになって、気分がすっきりすることであろう。
このように、転学部ができる道が開かれるのであるが、この転学部を積極的に進めていくようなものではないことはいうまでもない。私としては転学部希望者の数がゼロに近いことを望んでいる。
過去五年間の工学部における、学部間を移動した学生の例を調べてみた。
工学部から工学部以外の学部に移った例としては、平成十年に二類(電気系)から法学部へ編入学した例が一つある。また、逆に工学部以外の学部から工学部に移った例は、文学部から一類(機械系)へ編入学した例が平成十年に一つある。
また、他大学の工学部以外の学生の広島大学工学部への編入学の例としては、平成六年四月に日本女子大学家政学部から四類(建設系)へ、平成八年四月に滋賀県立短期大学から三類(化学系)へ(入学後退学)、平成九年四月に甲南大学理学部から工学部一類へ(入学後退学)、平成十年四月に北海道教育大学教育学部から四類へ、また日本大学法学部から一類への編入学などこの五年間に五人が入学している。
また、工学部に入学した後、進路変更や進路模索などの理由で退学した学生が、平成六年三月に五名、平成七年三月に七名、平成八年三月に三名、平成九年三月に四名、平成十年三月に七名と毎年数名いる。これらは、センター入試の自分の得点により、入れる大学学部に入学したが、本命は別の大学または別の学部であったために退学したものである。
転学部を認められるようになると、これらの数が少なくなるかどうかはわからない。工学部在籍中に本学の他学部を受験して、他学部に移った者もいる。
工学部への転学部を許可するにあたって、後述するような点に配慮しなくてはならない。
(一)工学部の入学者数は、現在の入学定員五九六名に対して、ここ数年六二〇名を前後しており、毎年定員を約四%オーバーしている。また三年次編入学生数は、平成八年度三十一名、平成九年度五十八名、平成十年度六十一名と増えており、編入学生を含めると入学定員に対する比率は一一五%近くにもなり、工学部に転学部生を受け入れる場合にはこのような学生数の現状も考えなくてはならない。
(二)工学部から他学部への転学志望者の人数が、まったくわからない。
(三)転学部志望者本人の学力の判定の問題がある。工学部に移って勉学するにあたって、当然必要な基礎的科目があり、これらの学力をどのように判断するかということである。転学部志望学生の、広島大学入学試験の受験科目やその成績を適正に評価しなくてはならない。工学部に正規に入学してきた学生が、不満をもたないような選考を行わなくてはならない。
(四)工学部では、学生は四つの類のいずれかの類に入学する。これまでは、入学後に類から類へ移るいわゆる転類は、転学部と同じように認められていなかった。
今回のように学部と学部の間の転学部を認めることになると、同じ学部の中にある類と類の間の転類を認めないというわけにはいかなくなり、工学部では学部内の転類も、転学部と同じように認める方向で急ぎ検討している。
(五)工学部の学生は、それぞれの類の中で、さらに、グループ分けや課程分けが行われる。このように学生の専門分けを行うときに、志望の偏りがあり、他学部の学生が工学部に転学部するときに問題が生ずる。
たとえば第四類では、二年次に三つのグループ(旧学科に対応するもので九課程を三課程ずつにまとめたもの)に分かれる。四類の学生一六五名をほぼ三等分するのであるが、例年このグループ分けにあたっては志望が偏っていて、思い通りのグループに入ることができない学生がいる。
このような中で、人気の高いグループへの他学部からの転学部を認める場合は、他の人気の低いグループに配属された学生に対して、不満のないようにしなくてはならない。これから実施される転学部の志望手続や試験・評価などが、スムーズに行われることを切に願っている。
最後に、転学部を志望する学生の調書の作成や評価判定のための作業のみならず、その段取りなど教職員の仕事量や事務量が増えることを付け加えておきたい。このあたりも何らかの配慮をするべきであろう。
広大フォーラム30期5号 目次に戻る