総合科学部

さびしさや華のあたりの翌檜

総合科学部長 生和 秀敏




 「さびしさや華のあたりの翌檜」という芭蕉の句がある。花が今を盛りと咲いているあたりに、ぽつんと一本のあすなろの木が立っている。花の美しさの中にあって、常緑の色をかえることなく、明日を夢見ながら空しく老いてゆくその姿に、しみじみとした淋しさが感じられるという意味である。卒業生に贈る言葉としては似つかわしくないかもしれないが、送る側の率直な心境をこれほど端的に表した言葉はないように思える。
 送られるものだけが無邪気に振る舞う華やかな卒業式の中にあって、送る側の気持ちをどう伝えたらいいか、戸惑いを覚えることが多かった。「卒業おめでとう、しっかり頑張れ」と励ましてみたところで、それは、それだけのこと。相手の目をしっかり見つめて、黙って握手すれば、分かるものには分かるかもしれないが、それとて、言葉をもつ身としては、もどかしい限りであった。
 そんなとき、電車の中で読んだこの芭蕉の一句は、突然、それも図らずも、別れには別れにふさわしい確かな言葉があることを教えてくれた。それと同時に、感動を引き起こす本当の言葉は、虚心に心を開き、素直に状況を受け止め、虚飾と衒いを捨て去り、あるがままの感情を静かに吐き出すときに、初めて生まれ出るものであるような気がした。言葉の持つ自律性が疑われ、確かさを行為のみに求める風潮が優勢な今日、卒業式を前にして、言葉の力を感じ取れたことは幸いであった。

 

時流に逆らう反逆の精神をもて!

文・総合科学部広報委員 古島 幹雄
 卒業おめでとう。総合科学部で過ごした四年間が将来にどれほどの意味を持つかは誰も分からないし、考えても仕方ない。
 過ぎ去った日々のどこかに大きな忘れものがあったとしても、今は振り返らず、ひたすら前に歩き続ける外はない、それがスマート。
 新しく生まれくるもの、黄昏消えてゆくもの、時代は人も価値も生き方をも大きく変えてしまうかも知れない。時流に翻弄され、時に空しく夜空を見上げることもあるだろう。だが、どんな時代になろうと、どんな境遇にあろうとも「時流に逆らう反逆の精神」をもって力強く生き抜き、新しい時代を切り開いて欲しい。

 



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