理 学 部

真理を目指した探求を生かせ

 今年度の「卒業生・修了生を送る」は座談会形式にすることにしました。牟田泰三理学部長、佐藤由佳さん(理学研究科博士課程前期二年数学専攻)、中村憲二君(生物科学科四年)の三人に集まってもらい、卒業・修了にあたっての思いを語ってもらいます(藤越)。
 まず牟田先生に口火を切ってもらいましょう。


学習から研究へ

牟田:高校生時代までに受けた教育と大学における教育との違いを端的に述べるとすれば、それは、学習から研究への脱皮だといえると思います。大学では、それまでどちらかというと受け身の形で学んできた学習態度を切り替え、能動的に学ぶことが要求されます。実際はなかなかこれまでの学習態度から抜けきれず、大学でもただ講義や実習に出て単位を取るのに汲々としているという人が多いかもしれません。
 それでも、四年生の卒業研究と大学院での研究では、求めて学ぶ姿勢が本質的に必要になります。お二人はすでにこれらの体験をしたと思いますが、いかがでしたか。

佐藤:大学生時代に"させられる"数学と感じていたものが、大学院生になると"する"数学に意識が変わったと思います。先人の足跡を追うだけの勉強ではなくなったと思います。大学院生になり、学会など、学外で研究成果を発表する機会が与えられて、自分の成果をアピールすることの難しさや、発表したことに対して反応のあることの嬉しさを知りました。また、他大学の院生とも交流ができ、いい励みになりました。研究の第一線の雰囲気を少しではありますが味わうことができ、私にとって貴重な体験でした。

藤越:中村君はどうですか。

中村:卒論では、淡水海綿の共生藻の分類学的研究を行いました。このため、指導教官の中野先生とロシアのバイカル湖に行く機会に恵まれました。そこで淡水海綿を採取して分離・培養して日本に持ちかえり、でてきたコロニーを植えかえて藻類を同定しました。


"真理"って何だろう

藤越:それは大変いい経験をしましたね。佐藤さん、あなたの修士論文についてもう少し詳しく話して下さい。

佐藤:私は数学の中でも統計学を専門として研究しています。
  統計データを実際に解析しようとする時、データ自身が持っている情報や構造(相関構造等)があるのならば、できるだけそれらを生かして解析したいと思うのは、自然なことだと思います。しかし、データの"真の構造"は目で見えるようなものではないので、誤った構造を仮定してデータを解析することがあり得ます。修論で私は"真の構造"とは異なる誤った構造を用いたときにデータ解析にどんな影響が出得るかについて、理論的に考察しまとめました。

牟田:理学部の教育研究の理念の中に「自然界の真理の探究」という言葉が出てきます。"真の構造"という述語が出たので、関連したことで"真理"とは一体何だろうということについて話してみたいと思います。
  ギリシャのプラトン以来、自然界の真理というものは絶対的に存在して、我々はその真理を発見しようとして研究を続けているのだという考え方があります。本当にそうでしょうか。真理というものが、人間の社会を離れて絶対的に存在することができるでしょうか。学問研究の発展の仕方をみていると、どうもそうでもなさそうです。
  学問研究においては、個々の研究の中から事実が積み上げられ、人々が認める"真理"が形成されてゆきます。その"真理"も、新たな発見や視点の変更によって、別の"真理"に取って代わられたりするのです。これを専門用語でパラダイムの転換とよんでいます。その意味で、学問研究における"真理"というものは社会学的対象だとみなすこともできます。

藤越: そうですね。統計データの処理をしていても、そのことを感じますね。
  さて、話変わって、何か楽しい思い出のようなことはありませんか。


楽しい思い出

佐藤:忘れられない思い出が、去年の夏の研究室の合宿です。先生と学生が一緒に寝泊まりし、バーベキューやゲームなどをしました。研究活動以外で先生を含めてふれあう機会を持つということは、お互いを身近に感じることのできるいい機会だと思います。

中村:一番の思い出はロシアにいったことですね。ロシアには二週間滞在し、そのうち一週間は船の上で過ごしました。岸辺で海綿を探していたら滑ってバイカル湖に落ちてびしょぬれになり、もうやけになって泳いでしまいました。とても冷たい水でした。船から見る景色はとても素晴らしく、朝陽、夕焼け、星空など忘れることができません。

牟田:佐藤さんと中村君はもちろん、今年卒業・修了する皆さん、理学部で真理を目指して探求したことを忘れず、それぞれの進路の中で是非生かして下さい。


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