開かれた学問(73)

 景観生態学 
−生物多様性の保全から環境計画の立案まで−

文 写真・中越 信和

 身近にある水田や森林。その植生配置には実は法則性がある。
 地球環境を考えるとき、われわれ人間の社会経済システムをも含めたすべての生態系のメカニズムのバランスが保たれなければ、人類に未来はない。
 環境と生物の関係を知ることは、生命の本質に迫ることかもしれない。
 
驚かないではいられない

 この三月も東京で環境庁、文化庁、建設省、道路公団が主催する六つの委員会で提言してきた。環境アセスメント法における「生態系」の評価手法、全国生物多様性ネットワーク構築、国指定天然記念物の立地評価、ダムや道路建設における周辺生態系と生物多様性保全手法など、いずれも景観生態学の主要な研究目的とされるものである。また、今までの実績もあってか、この方面での院生の求人が毎年増加し、就職氷河時代を感じていないのである。
 確かに日本は先進国になったのだと思う。十年前環境を優先する米国やドイツに学び、本学に根付かそうとした景観生態学が、我が国や業界にこれほど幅広く、しかも深く浸透するとは思いもよらなかった。環境、特に生物環境を研究する生態学が静的であるのに、景観生態学は動的であり、場合においては決定的ですらある。それは生態学の基礎資料をもとに保全計画を立案し、人間の開発行為がある場合には生物環境との最終的調整を策定することが課せられているためである。無論、重要な学問であり、その奥は深い。


空間が生態学を律する

 生物多様性の単位面積での比較は一般的で、「島の生態学」にまで発展した(全種数と立地面積は比例する)。ところが、生態系(ここでは景観要素を言う)の形状が円形ではなく、線形だとこの法則が成立しないことが判かってきた。他の生態系との界面が長くなるとその影響を強く受けるためである。ところが、この長さ(周長)と種数や個体群の構造との間にも法則が成立するのである。
 一方、自然及び農業生態系の分布にも規則性が見られる。大面積のものが少なく、小面積のものが多いのは直感的に理解できるが、それが人間の活動源からの距離だとか、地域の歴史の長さと数式で表現できる関係にあることも判ってきた。しかも、この公式は土地利用や歴史の違うヨーロッパとアメリカでともに成立し、ただ係数に差があるだけである。このような計量的景観生態学は特に米国で盛んである。
 遅れをとっていた私たちも、最近この分野で国際的に参画できるようになった。これは地理情報システム(GIS)の導入で可能になった。仲間で分担して、北海道の森林管理計画、首都圏の土地利用計画、広島県の農村-里山計画などをこのシステムで解析し、数年前から景観生態学の国際誌に論文を出版するまでに成長してきた。
 一方、内省的研究も行った。例えば環境庁の一キロ四方の区画植生図の信頼性の限界も解明したのである。ただし、この研究には環境庁の専門家も加わっていた。コリドーと称される生物の移動空間を形状のみ評価し実際の研究実績を挙げていないこと、重ね合わせして創出したエコトープ(生態系の空間単位)の実態が解明されていないことなど研究課題が山積みとなっている。

広島県の農村における水田面積と植生ユニット数の関係(大字を単位とする)。一見無秩序に思えても整然とした規則で構成している。



今までとこれから

 どの学問領域でも観察や記載の初歩的段階を経て、実験や考証の途中段階に到達する。これを発展させ、応用や利用ができるようにするのが科学の使命であろう。
 景観生態学も同様にヨーロッパで記載からはじまり、今や当地では国土利用計画の根幹をなすに至っている。オランダの「緑のネットワーク事業」、ドイツの「ビオトープ事業」などにその結晶が伺われる。米国での高速道路建設では、影響を受ける範囲をGISで選別し、その影響を極力小さくする設計を行い、それもだめなら失われる生態系をそれ以上の面積で代償している。このような事業が可能になったのは、言うまでもなく動植物の生態が詳細に研究されているためである。また、生態系の機能の研究が進んでおり、プロセスや維持機構を熟知した上での代償行為なのである。
 日本でも欧米並に研究が進むことであろう。日本生態学会の発展はそれを期待させる。ただ日本人の縦割り思考は阻害要因かもしれない。以前、植生構造とアリ類の種多様性、景観の分布構造と人間活動、社会経済変化とエコトープ遷移などの論文を学会誌に受理してもらうのに苦労した覚えがある。実際外国雑誌での受理までの時間の方がはるかに短かったのである。
 現在、「遺伝子から景観まで」を標語に仲間や院生と研究を行っている。孤立したシャクナゲの送粉距離を遺伝子解析で行い、保全対象となる空間サイズを特定するとか、立地評価から未来の松枯れ危険度を算出するなど、興味の尽きない研究(本当は深刻な環境問題)に精を出している。私たちでもそうだから、世界中でこの実証的・現実的研究は盛んに行われている。折しも今年の八月には米国コロラド州で国際景観生態学会が開催され、国際的な論議がなされることになっている。

地理情報システム(GIS)を利用して表現した同一地域の地形



知識と技術こそ命

 学問を熱情だとか真理だとか規定するのは容易い。しかし、景観生態学には膨大な知識と高度な技術が必要である。これらなしでは研究はできない。生態学の既存資料の理解はもとより、不足分を調査して補わなければならないし、未調査なら自分ではじめなければならない。DNAの解析、計算機を駆使してのモデリング、ワークステーションというコンピューターとは桁違いの情報処理機を道具のように使いこなさなければならない。
 今号は新入生対応号だと聞いている。それならば、なおさら皆さんにお伝えしたい。生物多様性の保全や環境計画の立案に自分の将来を託している人はぜひ生態学と情報科学を学び、より高度な実験技術や計算処理能力を習得して欲しい。本学はそれを手に入れることができる大学である。さらに、一般の学生諸君も、現在の環境問題解決がこのような高い技術でのみ対応できる難解な問題であることを知っておいて欲しい。

広島西風新都の緑化計画
大規模開発によって生じる法面(裸地)の面積を算出し、そこにどのような森林を再生させるかを決めた著者が係わった面開発対応事例



 プロフィール
(なかごし・のぶかず)
☆一九五一年広島県生まれ
☆一九七九年広島大学大学院理学研究科植物学専攻
☆博士課程後期修了、理学博士
☆一九八六年から本学勤務
 総合科学部・大学院国際協力研究科教授
 専門は生態学、環境計画学
 現在「生物多様性の保全と健全な人間生活の調整」を主要テーマに教育・研究を行っている。
☆著書「景観のグランドデザイン」(共立出版)
 など
E-mail
nobu@ipc.hiroshima-u.ac.jp
 

広大フォーラム30期8号 目次に戻る