自著を語る
『殺人者の言葉から始まった文学:G・ビューヒナー研究』
(菊判,326ページ)3,500円(本体)
1998年/鳥影社
文・
河原 俊雄
・・・・・・階段をのぼっているとき、どこからともなく、「刺し殺せ!」という声が聞こえてきた。そして、この声にけしかけられて実際に人を殺してしまった。
こんなことを、人は信じられるだろうか。殺人には、動機があり、計画があり、何よりも殺そうとする本人の強い意思がある。殺人に関して僕らが知ることはおよそこれぐらいで、ちまたにあふれる映画や芝居や小説や新聞記事もこれを自明の前提としている。右に引用した殺人者の供述など、それこそ絵空事のように思える。
ぼくも、そうだった。わけもわからぬものにけしかけられて人を殺してしまう、そんなことがあるのか。なんだか、言い訳じみていて、とても現実だとは思えない。
そのぼくの月並みな考えを根底から揺り動かしたのがビューヒナーだった。それ以降、現実の殺人事件を扱った書物なら、殺人者の手記であれ、ルポルタージュであれ、裁判の公判記録であれ、片っ端からどんなものでも読んでみた。すると、多くの殺人者たちが、ほぼ一様に、冒頭に引用したような内容を、きわめて似た言葉で表現していることに気づいた。これは、驚きだった。ぼくにとっては、コペルニクス的転換だった。絵空事だと思っていたことが現実で、現実だと思っていたことが実は絵空事だった。
この驚きをなんとか形にしたい、そう思ってこの本を書いた。ビューヒナーはリアリストである。現実に起きた殺人事件をもとにして彼の文学は作られている。そこで、素材となった殺人者の精神鑑定書と彼の文学作品との関係を徹底的に調べた。すると、人が殺人に至るまでには、合理的な脈絡とはまったく別の脈絡があることに気づいた。ビューヒナーの文学の力点は、簡単に言えば、この脈略を現実どおりに表現することにある。
この脈絡は、たとえば、神戸の少年Aにも宮崎勤にも共通する。
プロフィール
(かわはら・としお)
☆一九五〇年東京生まれ
☆一九八〇年早稲田大学大学院文学研究科博士課程後期ドイツ文学専攻単位取得
☆一九八四年ドイツ語学文学振興会より奨励賞受賞
☆一九八八年より広島大学文学部助教授
☆一九九七年ドイツ語学文学振興会より、本書の出版にあたり、刊行助成を受ける
広大フォーラム30期8号
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