講演録
ロンドン・スクール・オブ・エコノミックス名誉教授 森嶋 通夫
(講演要旨:法学部教授 藤田邦子)
昨年十月十五日(木)午後一時から、十七日(土)午後三時から、法学部・経済学部の主催によって、東広島キャンパスと東千田キャンパスにおいて行われた、森嶋通夫教授の講演会の概要を、ここに紹介します。
森嶋教授は三十年以上にわたって、ロンドンを拠点として研究活動を展開しておられる世界的に著名な経済学者であり、日本とイギリスの比較社会研究者としても高名です。日本人初のノーベル経済学賞に一番近い候補とみなされており、日本の誇るべき頭脳と言えるでしょう。
専門書以外の主要著書として次のようなものがあります。『イギリスと日本(一九七七)』『なぜ日本は「成功」したか?:先進技術と日本的心情(一九八四)』『なぜ日本は没落するか(一九九九)』など。
よく、現在の日本は、一九二九年の世界大恐慌が始まる直前のような危険な状態であるといわれます。仮に一九九八年をその頃だと仮定して、二〇五〇年を考えるとしますと、ちょうど一九二八年に一九八〇年を予測するようなものです。そんなことが果たしてできるのか。経済学者にはできない。政治学者にもできない。だれもできない。
しかし、あえて将来の日本はどうであるかを考えてみます。五十二年後の二〇五〇年に、日本の首脳部や官僚トップにいるであろう五十五歳ぐらいの人は、現在もうすでに生まれたところだ。そのとき大臣や代議士のなかに七十歳の人がいるとするならば、その人は今十八歳で、大学の一年生。ひょっとしたらこの部屋の中にも、二〇五〇年の総理大臣になる人がいるかもしれない、という状況です。
そうするとこれは、予測の問題ではなくて、現在の問題なのです。この現状を吟味して、未来を今の若い人たちに期待できるかどうか、という問題であります。ここで当然教育の問題になると思います。どのような教育が日本で行われているかという問題です。
教育には、家庭で、学校で、職場でという三つがあると思いますが、イギリスの場合は、家庭ではもっぱら道徳教育で、学校では知識プラス道徳教育、会社教育は技術教育だけです。
日本企業に働くイギリス人が「あなたは日本企業をどう思いますか。いい企業だと思いますか。満足して働ける企業だと思いますか」と聞かれ、次のようなことを言うのを聞いたことがあります。
「日本の企業はいい企業だ。だが日本の企業は、大人の扱い方を知らない。例えば、遅刻したときに日本の企業はお説教をする。なぜあなたは遅刻したのか、そういう理由で遅刻したら困りますよ、あなたの将来はそういう態度では困る、という説教が長々と続く。これは大人に対する待遇ではない。こんなことは学校でやることで、企業が説教なんかしなくていい。遅刻したら悪いことはみんな知っている。だから、説教せずに、あなたは何時間遅刻しましたね、だから、何十ポンド給料から減らしておきます、それだけでいいんだ。それが大人に対する待遇である」。
日本の家庭では、ごく小さいうちから仮名や漢字を教えるなど、知的教育を強調しています。しかし、もっと道徳的な教育、特に、親子間の信頼関係を教え込むことが大切です。親への信頼感を子どもがもち、親も子どもを信頼するのが、子供の家庭教育の一番大切なことだと思います。
将来の日本の社会を創っていくためには、子供たちを教育しなければいけない。ところが、終戦のときに導入した教育はアメリカ式教育であるのに、現実の大人の社会はアメリカ社会ではなくて、非常に古い日本社会をもっている。非常に自由な教育を受けて大学を卒業した人が会社に入ると、そこでその人を待っているのは、ガチンとした古い日本の社会です。接続が全然うまくできておらず、日本の大失敗ということだと思います。アメリカ式教育を導入したならば、日本の会社も大人の社会も、もっともっとアメリカ式に自由主義的に、合理主義で動かしていくべきだと思います。
経済界では、経営者と企業家の二つがあります。経営者とは、ただそのまま日々の経営的な事務をやっている人である。企業家とは、特別なアイディアをもち、そのアイディアを実行していくようにみんなを説得する力のある人である。
例えば、松下幸之助です。一九三〇年代不況のときに、松下の品物が売れず、在庫がどんどん増えていくので、みんなが値下げをしようと言った。売れ残ったら値下げするのが、その当時の常識でした。しかし松下は「値下げをしてしまったら、いままでがボッていたことになるじゃないか。値下げは絶対しない。そのかわりに生産を止めて、全員セールスマンになれ。在庫が減ってきたら、また生産を開始せよ」と言った。これもひとつのニューアイディアです。
政治屋にも、日々の政治的事務をやる人と政治家の二つがいます。政治的事務をする政治家は、日本では「陣笠」と言います。陣笠は政治家ではない。ところが日本の政治家は、全員この「陣笠政治家」である。政治家はアイディアがなければいけない。人のやれないアイディアをもって、そのアイディアで闘うのが政治家なのです。
偉大なる政治家というのを思い起こしてみれば、日本人だったら西郷隆盛だし、中国人なら毛沢東だ、イギリス人だったらミセス・サッチャーだ。新しいアイディアを持ち込むのが政治家なのです。選挙とはアイディアとアイディアの闘いなのです。それを見て、どっちが期待できるかという点をみて投票するのが政治である。
政治家のアイディアは、みな実行可能で、まわりからのサポートを得られるような現実的なものでなければいけない。理想的アイディアを立てると同時に現実的である、理想主義者であって現実主義者である、しかも、成功しても自惚れない、という組み合わせが政治家には必要な条件です。これは非常にむずかしい。偉大なる政治家もみな、最後には自惚れで失敗したわけです。
しかし、現在の日本には、こういう人が全然いない。ミセス・サッチャーやトニー・ブレアーのもっているような理想主義すら、日本の政治家にはない、と言わなければなりません。日本の政治は、大人の世界、つまり村落共同体を維持しようとしている。この日本の村には村長さんというボスがいます。外国の政治ならば、そういう村落共同体があったら、政治家はまずそれをブッつぶして新しいものをつくり上げていくでしょう。
教育や政治といった問題をこのように考えていったら、日本の二〇五〇年はどうなっているでしょう。人口は五分の一減って、現在の八〇%になっている。都会も田舎も人口減少です。こういうふうに大変なことになるんじゃ、子どもがかわいそうだ、子どもを産むのをやめておこうということになって、子どもの出生率が下がってくる。こういう話をお聞きになりますと、若い皆さんは、暗澹とせざるをえないでしょう。
そこで私は、東亜共同体をつくるというアイディアが、唯一の可能性だと思います。アジアの諸国(日本、韓国、北朝鮮、中国、台湾など)が、ECのような、一つの共同体を創る。
ヨーロッパは市場共同体ですが、われわれのところはまず開発共同体にしましょう。中国の奥地には、未開発の資源がどれだけあるのか、だれも知らない。そういうところの資源開発をやって、海岸部へもってきて、工業製品にする。日本の技術力を、そういう奥地開発や、物資の輸送に使う。とくに、資源や製品を運ぶのに、新幹線を貨物列車にして運ぶ。
こういう一つの開発共同体ができあがってから、やがてはそれをヨーロッパのように、市場共同体に転換していくのです。そしてこれを実現していくのは、皆さんの中にいる将来の企業家・政治家なのです。
最近私は中国の大学で講義しましたが、中国の大学の学生は非常に優秀で、一生懸命です。中国人の学生に「あなた方は中国のエリートでしょう」と言ったら、彼らはすぐ「そうです。私たちはエリートです」とはっきり言う。日本人はなかなか言わない。しかし、大学で勉強する人が、自分自身のことをエリートだと思わなかったら困るのです。エリートの義務、エリートが率先してやるべき責務があるということを、考えなければいけないと思います。
講義がすんだら、彼らはドーッと私のところにきて質問をしました。ところが、「自分は留学しようと思うが、ハーバードとシカゴとどっちがいいか」などと、中国の学生の眼は、全部アメリカに向いています。どうしてもアメリカへ行きたい、というのが今の中国の学生です。
中国人はこんなふうに切実に、外国と密接に結びつきたいと思っている。それなのに、こういう中国人と、日本人とが、どうして結びつかないのだろうか、と私は感じました。率直に話し合えば、我々は相互に了解することができるはずなのです。
広大フォーラム30期8号 目次に戻る