留学生の眼(69)

  図書館への想い  

文 写真・ 李  丹
生物圏科学研究科博士課程後期

 幼い頃から読書が好きだった私は、日本での留学生活の中でもっとも気に入った場所は図書館だった。静かな図書館は、本棚はきちんと整理され、たくさんの本と雑誌が並べられている。図書館に入ると、知識の海で小舟を漕いでいるような心境になる。
 日本と中国の図書館を比べてみて明らかに違う点は、本棚から勝手に好きな本を取って読めることである。これは私にとって何よりの喜びだった。中国のほとんどの図書館では、利用者は書庫に入って自由に本を選ぶことができない。本を借りるとき、先に検索カードを調べ、書名と分類番号を申し込み書に記入し、図書館の職員に取ってもらう。
 広大図書館での利用は大変便利にできている。まず図書館での利用者に対する資料、情報の提供は迅速で、的確である。アメリカの図書館でも非常に充実していると聞くが、広大でも、利用者のほしい分野の本や雑誌などがあるかどうか、図書館が所蔵する資料の所在や本や雑誌の内容についての情報を、構内のどこでもオンライン検索することができる。
 また、本や雑誌その他の資料の種類が豊富である。日本語の資料のほか、英語のものも数多くある。研究に欠かせない参考論文がほしい時、その論文が載っている雑誌は大学図書館に置かれていなくても、取り寄せることができる。しかも日本人の収入と比べると論文のコピー料金も安い。何年も前のことだが、中国の大学に勤めていた時、英文雑誌に載っていたある論文を、遠くの図書館に依頼して海外から取り寄せてもらって、かかった費用は当時の私の月給分に相当した。
 大学図書館のほか、市立図書館の利用も簡単にできる。申し込むと、誰でも図書館の利用カードをすぐに手に入れることができる。中国では、図書館の利用には規制があり、限られたグループの人々しか利用できない。以前中国に居た時、大変苦労してやっと省立図書館の利用カードを手に入れたことを鮮明に覚えている。
 また、市立図書館の職員も親切である。分からないことがある場合は、優しく教えてくれるし、手続きがすんだら、「ご利用ありがとうございました」と声をかけてくれる。本来利用者の私がサービスをしてくれた職員に対して言うべき感謝の言葉を、逆に職員から私に向けた言葉として聞いて、最初は不思議で、なんと答えていいか分からず、声が詰まった。中国に居た時は、いつも私のほうから図書館の職員に感謝の気持ちを述べていたのに。
 日本では、利用相談、読書相談、事実調査、本や雑誌に関する情報サービスなどの利用者と図書館を結びつけ、学習活動を援助するシステムは完全に近い。各自治体が設立したある地域内の中央図書館とその分館、移動図書館などが図書館システムを構成し、それぞれが所蔵する資料を一体として運営し、相互利用を行うのはもちろん、必要に応じ他の公共図書館や大学、専門図書館などとの相互利用も図っている。図書館は本や雑誌など貸出と返却を扱う従来の仕事以外に、市民の文化生活を向上させる重要な役割も果たしている。定期的に読書会、お話し会、お楽しみ会、映画会、講演などを行い、一般市民の生活と密接に関わる日本の図書館は市民の図書館、福祉の図書館とも言えるだろう。それも日本国民の生活に欠かせない存在になっている。それらのやり方は、我国にとって、貴重な参考になる。
 休日に東広島市中央図書館へ行くと、よく親子連れを見かける。幼児コーナーでたくさんの絵本が本棚に並び、子どもたちさえ自由に選ぶことができる。絨毯の敷いてあるところで遊びながら本を読んでいる子どもの姿を見ると、日本の子どもたちは幸せだと感動したこともある。
 図書館を一つの側面として見るだけでも、明治以来日本政府が教育立国精神を堅く貫徹してきたことが分かる。図書館は人々の生涯学習においても重要な役割を果たしている。国民の教育レベルが高いからこそ、戦後から現在に至る日本の高度成長期が持続されてきたのだろう。
 日本での留学生活の中で、図書館は私にとって拘束感のない、読書の醍醐味と純粋に心の喜びを味わせてくれるところであり、生きる知恵と勇気を与えてくれるところである。

広島市大洲中学の生徒に中国重慶市のことを紹介している1コマ(筆者中央)
 




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