未知への航海

附属図書館長 位藤 邦生




 現代は先が読めない時代だとよく言われます。しかし先の読める時代などあったためしもないのです。
 小泉八雲に『破られた約束』という題の再話があります。うんとつづめて紹介すれば、次のようです。
 愛していた若い妻が死ぬ前に、男は、二度と結婚せぬことを誓い、安心した女は、自分を庭の隅に埋めてほしい、棺の中に小さな鈴を入れてほしいと願います。男は、女の言うとおりにしました。しかし、女の死後一年とたたぬうち、親戚や友人に跡取りがないことを責めたてられ、男は、やむをえず、若い妻を娶りました。
 結婚して七日め、男が城中に宿直をした夜の、丑三つ時、若い妻はかすかな鈴の音を聞きました。その音は次第に大きくなり、ふうっと、巡礼の鈴を手にした女の影が部屋に忍び込みました。そそけた髪が乱れに乱れ、目のたまがないその女は、この家をすぐに出てゆくよう、若い妻に迫りました。またこのことを男に話せば八つ裂きにするとも脅しました。若い妻は失神します。翌晩もまた、鈴が鳴り、同じざんばら髪の女が現れました。
 怯えた妻は、実家に戻らせてくれと夫に懇願しましたが、理由を問い詰められ、とうとう打ち明けてしまいます。驚いた夫は、しかし、その夜も城へ出仕しなければならず、屈強の侍に妻の警護をさせました。丑の刻、警護の武士達は不意に金縛りの状態になり、翌朝下城した男は、首をもぎとられて血の海に横たわる妻を発見しました。血のあとは点々と庭の方へとつづいていました。血の跡を追った男と侍達は、植え込みの曲がり角で、だしぬけに、醜悪な死霊に出くわしました。死霊は、もぎ取った首を片手に持ち、そこに踊るように立っていました。侍のひとりが念仏を唱えながら斬りつけると、死霊は忽ちくずおれ、その中から、鈴がひとつ、音をたててこぼれ出ました。手首から離れた指の骨には、それでも、生首がしっかりと握られていたそうです。
 この話を私はずいぶん以前に読みました。どうしてだか忘れられない話です。この話に登場する人たちは、男も、元の妻も、後の妻も、悪い人などいないのですね。それでいて、みな不幸です。人間は哀しいものだと思わせます。
 皆さんはこれまで、受験に備えて、一つの設問に一つの正しい答えが出せるよう、勉強してきたのではないでしょうか。それはそれで間違ってはいないでしょうが、何が正しい答えなのか、わからぬことが、この世にはたくさんあります。私たちの人生も、そうした難題に満ちています。大学生、大学院生になった皆さんには、今後、こうした難しい課題にも、臆することなく、堂々と立ち向かってもらいたいと心から思います。未知の航海に乗り出すようなこの時に、ひととおりの海図を用意し、羅針盤を提供するのが、図書館の役目でしょう。大いに利用してください。しかし、凪いだ日も、嵐の日も、未来をめざして航海を続けてゆくのは、ほかならぬあなたです。先の読めない時代にも、したたかに生き抜く知恵を、身につけてください。
 ボン・ボヤージュ。幸多い船出、あなたの航海の平安を祈ります。

 

法学部経済学部側から中央図書館を望む
 

 



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