教育学部

自分の教養を創るをモットーに、大らかな気分で
教育学部長 利島 保
 新入生諸君の中には、入学式もまだの四月早々から大学に集められ、教養的教育のガイダンスが行われた。進学率が年々高まる昨今、多様な人材が高等教育を受けるのだから、大学教育に一定水準の教育がなされねばということから、多少窮屈な形で教養的教育のヘッド・スタートが始まったのである。
 ヘッド・スタートとは、本来競馬のスタート時の鼻面を揃えることである。転じて、人工衛星打ち上げ競争に敗れたアメリカが、ソ連の教育水準を追いつき追い越せをスローガンに、幼児から学力水準を揃える教育計画に、この名を付けたのである。この計画は実際には失敗したが、唯一の功績は、テレビ等の視聴覚媒体の教育利用を生んだことである。テレビでお馴染のセサミストリートは、この計画に沿って制作された幼児向けの「読み・書き・そろばん」の教育番組として誕生したものである。翻って考えると、学部段階での教養的教育の充実が言われるようになり、教養的教育のヘッド・スタートになったという推論も成り立つ。
 教養的教育の目的は、提供された授業のみで全員を揃えるのではなく、授業を梃子に自己の主体性を磨くことにある。従って、利用可能な大学施設、教官や事務官、先輩・同輩との交流の中で、アカデミズムの香りを付けるという気楽な気分で、四年間という時間帯で、自分なりの教養を探して欲しい。これが、新入生諸君にお願いしたい学部長としての提言である。
 
少数派の君へ
教育学研究科学生  前原かおる
 この春晴れて大学生となった皆さん、ご入学おめでとう。「少しばかりの不安を抱きながらも、大学生活への希望に満ちあふれ、……」という人が多数なのだろうが、中には「かなりの」不安を持っている人、また、「希望に満ちあふれ」という感覚が持てない人もいるのではないか。そして、「自分だけ」と焦っている人も。ここで述べることが、そのような人へのメッセージとなればと思う。
 昨今の禁煙ブームで肩身の狭くなってしまったある愛煙家の話。「たばこを吸わない人間が『なぜ吸わないの』と聞かれることはめったにない。ところが、たばこを吸う人間は『なぜ吸うの』という問いに答え続けなければならない。しかも、それで周囲の理解が得られるというわけでもない……」
 私は愛煙家ではないし、また、この場合の少数派になることを決して勧めているわけではない(特に未成年の皆さん)。けれども、この話は日常のさまざまな場面に通じると思う。人と違うことをやれば多数派に「なぜ」と問われる。しかも、ちょっと説明したくらいでは、そう簡単に受け入れてもらえない。そのうち、説明する気も失せる……。
 だが、こうも考えられないか。少数派であるからこそ「なぜ」と聞いてもらえる。それによって物事を考え直す機会も得られる。それがうまくいけば、他人に共感してもらえる、と。そのようなプロセスとは、実は「研究」のミニチュア版であり、皆さんの入学した「大学」とはそれが重んじられる場なのだ。
 だから、「自分だけ」と不安に駆られている人にこそ、大学という場、大学生としての時間を大いに満喫してほしい。皆さんの勢いが広大への新風となることを期待する。
ゼミの仲間たちと ─筆者左端─
 
 
大学は皆さんの期待に答えられるだろうか?
教育学部教官  酒井 弘
 新入生の皆さんは、いったいどのような期待をいだいて入学して来られるのだろうか。期待の内容はそれぞれに異なるかも知れないが、大学で何を見つけられるかは、むしろ皆さんの目的意識にかかっているように思う。
 自分自身の経験を振り返って見ると、国内外で学部生、大学院生として在籍したいくつかの大学の中で、最も期待に答えてくれたのは、最後に在籍したアメリカの大学だった。そこでは論文を通してしか知ることのなかった学者のセミナーに参加し、自分の研究に意見を求め、これまで誰も知りえなかった新しい知識が生み出されつつある雰囲気を、肌で感じることができた。しかしそのような充実感を味わうことができたのも、自分の目的がはっきりしていたからではないかと思う。
 もちろん入学してから自分の目的を探しても、決して遅くはない。その場合、一つだけ理解しておいて欲しいのは、大学はすでに出来上がった便利で役に立つ技術を習得する場所ではないということだ。技術革新のスピードの早い現代では、出来上がったマニュアル的知識を身に付けても、すぐに過去のものになってしまう。大学は研究機関であり、時代を切り開くための新しい知識やアイディアを生み出す場所なのである。大学での研究活動に参加することで、未来を生きる力を身に付けてもらいたいと思う。
鏡山にて後方に広大キャンパスを望む
 
 



広大フォーラム30期8号 目次に戻る