総合科学部とポーランド・グダニスク大学、国際交流協定調印

 平成十一年一月二十七日、総合科学部とポーランドのグダニスク大学社会科学部との間の国際交流協定が、グダニスク大学本部の学長室で調印された。総合科学部金田晉教授が学部長代理として学術・教育研究交流に関する協定書の調印式に出席した。この学部間協定は、一年以内に大学全体の交流協定に発展する計画である。
 交流事業の内容は、研究者、学生の交流および研究成果、学術刊行物とその他の学術情報の交換などである。
 調印式の当日、ガゼダ・ヴィボルチャ紙と金田教授とのインタビューが行われ、翌日の一月二十八日号に掲載された。金田教授はこの国際交流の意義と今後の見通しについて、インタビューで次のように語っていた。ここに記事の全訳を紹介する。


グダニスク大学社会学部

 

グダニスクの街並


 

グダニスク大学

 広島大学と同じく、戦後に創設された大学であるが、北ポーランドにおいてもっとも精力的に活動している大学である。そして、グダニスク市はバルト海に面し、一九九七年に千年祭を催した、歴史の古い美しい都市であり、現在も中欧における政治・経済・産業の方面で中枢的な役割を果たし、また観光と保養の都市としても有名である。
 


「もっとも長い大学」−金田晉氏とのインタビュー
バルバラ・シフィオンデル(「ガゼタ・ヴィヴォルチャ」紙記者)記

訳文・ウルシュラ・スティチェック   総合科学部助手


記者:今日は広島大学総合科学部とグダニスク大学社会科学部との間で学術・教育研究交流に関する協定が結ばれた。どのような経緯で今回の協定が調印される運びになったのか。
金田:一九九三年、日本の学術振興会の紹介でグダニスク大学のボフダン・ジェニドック教授が広島に来られて、講演と演習を行われた。その時、彼は、協定を提案し、ポーランド側の発起人の一人として積極的に実現に努力されてきた。

記者:貴方の大学とグダニスク大学は相互にたくさんの提案を共有できるだろう。
金田:私たちの大学には共通点が多い。グダニスクも広島も第二次世界大戦中、同様の悲劇を体験した。二つの都市は、海に面している。どちらの都市も千年以上の歴史を持っている。私の大学は、グダニスク大学と同じく、戦後に創立されたが、長い間キャンパスが分散していた。グダニスク大学はポーランドで「もっとも長い大学」と言われている。広島大学も同じ境遇だった。広島大学は統合移転し、グダニスク大学も一つのキャンパスにまとまろうとしている。将来、都市同士の交流協定を結ぶこともいいことだろう。

記者:両大学の交流はどのような形になるだろうか。
金田:学生の交流、研究者の交流、また共同研究の実施と国際研究集会の開催、及び研究成果、学術刊行物と学術情報の交換が考えられるだろう。今回は、学部間の交流協定だが、一年以内に大学間の研究交流の協定に発展する予定だ。これはさまざまな交流に役立つだろう。

記者:最初のグダニスク大学の学生はいつ広島大学に行けるだろうか。そして、学生の負担がいくらになるだろうか。
金田:可能性としては今年の四月からだ。だが、実際は大学間の交流協定を結んでから、そうなるだろう。そうすれば、学生たちは入学料、授業料の免除という恩恵を受けることになる。現在ではグダニスク大学の学生は、一年間一万ドル近く払わなければならないだろう。

*金田晉氏は、哲学者で美学、現象学、現代ドイツ哲学を専攻している。広島大学教授である。


Gazeta Wyborcoza 「ガゼタ・ヴィボルチャ」
(「選挙新聞」)1999年1月28日(木)号掲載。
同紙は「連帯」時代に創刊された全国紙で,ポーランドの知識人によく読まれている。


1999年1月27日、グダニスク大学の学長室で行われた調印式
 

調印式のメンバー

学長
 マルチン・プルチニス教授
副学長
 ヨランタ・ヤブオニスカ=ボンツァ教授
副学長
 ミロスアフ・クライエフスキ博士
社会科学部長
 ボフダン・ジェミドック教授
認識科学・コミュニケーション研究所長        
 ヴァルデマル・トウォキニスキ教授
大学スポークスマン
 トマシュ・ユジヴィアック博士

 
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