2000字の世界(27)

インド・パキスタンの原爆実験とラジュー博士

文写真・ 伊藤 明弘(Itoh, Akihiro)
原爆放射線医学研究所教授

 私は平成十年四月六〜九日、インド北部の町シロンで開催された放射線生物学国際会議に出席した。デイリー空港より一時間、左にヒマラヤ山脈を眺めてガハテイー空港から更にバスで五時間山岳地帯を登ってゆくと、イギリス人がかつて保養地として開拓したという秘境シロンにつく。その会議で、元米国ロス・アラモス原子炉研究所長を務められたラジュー博士(現インド・マハトマ・ガンジー研究所長)とシンポジウムの座長を務めた。
 氏は長年米国の原子物理学研究の一端を担っていたが、インドに帰国後、一転して私財を投じて地方農民の子女の育成と教育の振興を実践している人物である。その風ぼうは故マハトマ・ガンジー(インド建国の父)と似ており、古来の東洋・西洋の宗教や哲学にも深い造けいを示し、学会場でも印象に残る人物であった。
 博士の講演は、専門の種々の放射線の特性、特にアルファー線のがん治療への展望に加えて、科学者たちへのメッセージとして、今こそ科学のもつ真実と自由、平和と平等の概念を広く人々に伝えてゆくことが大切であることを強調し、参列者の多くの学者たちの心を打つ内容であった。
 私はこの会議から帰国直後の四月十四〜十六日に広島で開催された日本病理学会総会のシンポジウムで五十余年前に米国で行われた動物を用いた原爆実験のデータと広島・長崎のヒトへの原爆影響の比較論を行った。この内容を後日広島の新聞社の人が取材したが、丁度その時期にインドで、引き続いてパキスタンで原爆実験が行われ、その感想を求められた。
 私は、先のインドの学会で出会ったラジュー博士を想い起し、日本や広島での世論の反応を書いて博士に書簡を送った。それは丁度、パキスタンがインドの原爆実験に報復して実験を行った日と一致しており、その返事が博士から届いた。
 インド・パキスタン原爆実験に関連した部分のくだりで博士はこう述べている。
 「インド北部のカシミール地方は、歴史的に中国・パキスタンと接し、常に民族紛争の舞台となり、現在も続いている。インド独立後、中国とパキスタン両国は平和条約を締結しインドと対立している。インド・パキスタンの両国民は彼らがもっと世界を知ると同時に、この問題に関しては一方が深く傷ついた時に始めて友好の必要性を認識するだろう。両国民がもつヒンズー教とイスラム教の宗教の差は、両国間の紛争に関しては問題にならない。かつて世界の偉大な物理学者エンリコ・フェルミは、自分が影響力を示し得ない議論には決して加わらなかったように、私は科学者として科学の技術を人々に伝えることでその責務を果たしたい。
 幸い、インド防衛研究庁には、一人の科学者として、又、人間として偉大な人物がいる。彼は独身であり、詩人であり、その生活は簡素である。彼は科学の力を人々の生活の向上に役立てようと努力している。
 第二次世界大戦でアインシュタインと共に原爆の生みの親の一人であったオッペンハイマーは、その回顧録に原爆はもはや戦争の武器として役立たないであろうと述べている。インド・パキスタンともに原爆をミサイルに搭載することはやめて、他の解決策を模索するであろう。もはや両国の大使館や国務省関係者だけでは、重要な国際問題の解決ができないことが明らかになりつつあり、今こそ、これらに関連した科学者や研究者がその国境を越えて世界各地でみられる民族紛争の解決の舞台に参画する必要がある。」
 平成十年末、明石康広島平和研究所(前)所長主催の広島で開かれた核軍縮に関する第二回東京フォーラムで、スイスの駐米大使は核兵器を有することは、今や世界の一流国の条件でなくなりつつあることを示し、核不所持のスイス、ドイツ、北欧、日本などが一流国である主旨の見解を示した。
 私たち人類は放射線という神の手の恩恵に浴し、その一方で核兵器という悪魔の手先に汚染されつつあるのも現状である。

インド・シロン学会のロビーにて(右端から:ラジュー博士、筆者)
 



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