大学地区の中心本部・本部棟全景 |
ストゥディム・ゲネラーレ(『大学』)の紋章 |
本部棟入口 |
パスコーリ通りの法学部棟 |
ペルージアの象徴・エトルリア門 |
クリフォ先生(右)をお招きして(筆者左) |
イタリア・サッカーリーグ(セリエA)における中田選手の活躍で、ペルージアの名前をご存じの方も多いだろう。今はローマ大学に戻られたクリフォ先生をたずねて、この地を訪れたのはワールドカップ・イタリア大会の年だった。 イタリア中部ウンブリアの州都は、ローマとフィレンツェのほぼ中間(高速道路で約2時間)に位置する。歴史は古く、エトルリア門や水道橋に古代エトルリアの面影を留める。その一方で、麓の大駐車場から、中世に築かれた城壁に設置された3基のエスカレーターを乗り継いで、中心街(チェントロ)とを行き来するというちょっと不思議な光景にお目にかかることになるのだが、小高い丘上にできた都市の宿命を乗り越えるべく、過去と現代の共生が見事にはかられていておもしろい。 大学と都市が溶け合って醸し出す学生の街という雰囲気は、長い歴史を通じてはじめて培われるものだろう。創立は13世紀まで遡り、教皇クレメンス5世がストゥディウム・ゲネラーレ(『大学』)としての創立教書を付与したのは1308年のことだ。中世ローマ法学は、ボローニアにおける「註釈」の完成で一つの発展を終えたあと、バルトルスやバルドゥスといった学者たちの手であらたな展開を遂げる。その中心になったのがペルージア大学の法学部だった。 中心街の一角に今も商店や市裁判所などが入る建物(15世紀後半)は、1811年の移転まで大学のあったところだ。現在では、中心街から少し離れた場所に本部と法学部をはじめとする大学地区が形成されている。法学部棟の微笑みたくなるようなれんが色が新たな息吹を感じさせてくれる。 ペルージアは、イタリア外国人大学(1926年創設)の所在地としても知られる。イタリア語を学ぶ老若男女が世界中から集まって、地方都市としては、思いがけない国際色豊かな町をつくり出している。語学生はもとより、企業からの派遣、料理や音楽の勉強、教会関係者と、さまざまな目的をもった日本からの留学生も少なくない。 法学部公法講座 吉原達也(よしはら・たつや)
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