2000字の世界(29)

ランプの灯の下で

文写真・ 岸 本 真 一(Kishimoto, Shinichi)
生物圏科学研究科
博士課程前期二年

  わたしは大学院を休学して青年海外協力隊に参加し、アフリカのタンザニアで高校の生物教師として二年間過ごしました。タンザニアは、東アフリカの赤道近くに位置する国で、アフリカ最高峰キリマンジャロ、世界有数の国立公園セレンゲティー・ナショナルパーク、ナイル川の源ビクトリア湖、マラソン選手のイカンガーなどで知られています。


任地センゲレマ村
 わたしの任地センゲレマ村は、首都ダルエスサラームから汽車で二泊三日、フェリーで一時間、バスで約二時間を経たところにありました。これは乾季の場合で、雨季にはこの一・五倍ぐらい時間がかかります。
 センゲレマ村での生活は毎日驚きの連続でした。村ではハイエナが鎖につながれて散歩していました。また、ジャッカルも犬と同様に飼われていました。ワニ、ヘビ、カメレオン、サソリ、軍隊アリなど日本では動物園以外では見られそうもない生き物がたくさんいました。


教科書のない高校での授業
 私が仕事をしたセンゲレマ・セカンダリー・スクールは国立・男子校・全寮制のサイエンス学校でした。将来は医学、農学、工学などの分野に進学を希望する生徒が全国から集まってきます。スクマ族、ゴゴ族など約一三○あるとされる部族間の交流を深めるために、全寮制で学ぶのだそうです。ちなみに、タンザニアにある大学はダルエスサラーム大学とその付属のソコイネ農科大学の二校のみです。
 朝は七時から朝礼、七時三十分から授業が始まります。授業中は質問も沢山あり、日本の高校とは全く違います。生徒は教科書がないので私の板書がテキストになります。言葉の不足を補うために、できる限り図や工作品を取り入れました。シラバスは日本以上に膨大なものだったので、それを消化するために補講を行いました。生徒はとても積極的で授業終了後も家まで問題を持ってやってきます。給食はウガリというトウモロコシの粉を湯でまぜて作った餅とマハラゲという豆スープです。これが昼夜、毎日続きますが、彼らは文句を言うこともなく食べています。授業は十五時で終わり、その後昼食をとると、農作業のない時は自由時間ですが、生徒のほとんどが勉強します。夕方には、三キロ離れた井戸まで水を汲みに行く者もいます。夜は、貸し出しのプレッシャーランプで、十九時から二十二時三十分まで勉強します。金銭的理由から一つのランプで一教室賄っています。光量は充分とは言えませんが黙々としっかり勉強します。
 そんな生徒たちも問題を抱えています。それは授業料です。授業料は年間六万タンザニアシル(一万二千円)ですが、皆が払える金額ではありません。勤続年数三十年の高校教師で月収四万五千タンザニアシルです。国民のほとんどを占める農業従事者は、この四分の一も稼いでいないと思います。多くの生徒は家の牛を売ったり、親戚に借りるなどして何とか準備しますが、授業料未払いにより高校を離れていく生徒も少なくありません。国民のほとんどは学ぶ意欲があっても、中学や高校の入学試験も受けられず、高校進学率は約一%です。それだけに、彼らは家族や村の期待を背負いながら、少ないチャンスを生かすために懸命に勉強するのだと思います。ところが日本では、学ぶ機会が十分に与えられているので、積極的に自ら学ぼうとする意欲がなくなっているのではないでしょうか。

マラリアを克服して
 二年間の活動中、二回ほど入院しました。一度目は急性食中毒で吐血、二度目はマラリアで一週間入院しました。マラリアで入院したときは体中の筋肉に激痛がはしり、熱も四十度を超え、意識も朦朧としていました。とても自転車に乗れる状態ではなかったので、副校長が呼んでくれた教会の車で、個人用注射針と粉末ポカリスエットを握り締めて病院まで行きました。今日の私があるのも、同僚教師の息子兄弟とルアンダ人の友達による泊まりこみの看病と点滴のおかげだと思います。
 日本に帰国してから一年が経った今では、タンザニアでの生活は遠い昔のように思えます。発展途上国での教師という立場で学んだことは、決して天狗になるまいということでした。天狗になると人の話や意見が聞けなくなります。人の話が聞けないと、わがまま、かつ自己中心的になり生徒の心は離れていきます。赴任当初、私の前任者の杉山さん(現在シニア隊員としてザンビアの短大で活動中)に教えられたとおり、二年間どんなときも怒らずに対処しようと思いました。でも、時には怒ってしまうこともあり反省の連続でした。
 発展途上国の人々に教えてやるといった態度では、人はついてきません。勉強させてもらっているという態度が必要だと感じました。これは、何も学校だけでなく会社でも何処でも当てはまると思います。来年春、私は企業に入社しますが年齢を重ねるにつれ、昇進するにつれ、「実るほど頭をたれる稲穂かな」という姿勢をもっていきたいと思います。

道端で見かけたライオン

近所の子供たちと(後方中央は筆者)
 



広大フォーラム31期3号 目次に戻る