広島大学半世紀の歩み・ミニアルバム 

五十年史編集室




  五十周年記念事業のひとつに『広島大学五十年史』の刊行が盛り込まれています。『広島大学五十年史』の編纂事業においては、写真を多用した図説・年表編と、記述中心の通史・資料編の二種類の刊行が計画されています。このうち図説・年表編は来る十一月の記念式典での配布を予定しています。ここでは刊行間近となったこの図説・年表編『広島大学の50年』についてご紹介します。
 『広島大学の50年』は草創編、学生・教育編、整備・拡充編、研究・改革編(以上図説部分)、年表編の五つから構成されています。四編に分けられた図説部分では、広島大学五十年の歴史を五十の視点(テーマ)からみることをコンセプトとしています。草創編では広島大学が総合大学としての体裁を整えるまでの事項を主に扱います。学生・教育編では学生の日常生活に目を向け、読者の皆さんが青春時代を回顧できるよう心がけています。整備・拡充編では各部局等を一テーマとして、広島大学の機構が充実してきた過程をとらえます。研究・改革編は広島大学がこれまで取り組んできた改革の動きと、未来へ向けての挑戦に関するテーマを集めました。
 それぞれのテーマについて見開き二ページ(A三サイズ)の紙面を設定し、六百字程度の解説文と八点ほどの写真や図表などで構成しています。写真を八点程度に厳選したのは、紙面のデザインに重点を置いたためで、これを実現するためにプロデザイナーを起用しました。見栄えの良さと内容の豊富さとを両立させるものをと考えています。
 年表編には東千田と東広島の新旧両キャンパスの季節ごとの風景写真を配した略年表を掲載します。
 それでは、『広島大学の50年』に掲載予定の写真の一部をお楽しみください。
 なお、写真や解説文は実際に使用されているものとは異なる場合があります。


広島文理科大学本館の建物
戦前に出された絵はがき集「もっとも新しき広島名所」からの一枚。 (古浦敏生氏提供)

原爆の爆風により倒壊した広島工業専門学校校舎(広島市千田町)

原爆の被害を受けた広島文理科大学(広島市東千田町)

国立広島総合大学設立経費募集ポスター(昭和23年)


広島工業専門学校の復旧作業
学生自らの手で作業が行われ、授業の再開が急がれた。(広島工業会提供)

開学式(昭和25年11月5日〜7日) 開学式は音楽会、展覧会、演劇会、映画会などの企画を含み3日間繰り広げられた。この11月5日が創立記念日として現在に伝えられている。(西村博氏提供)

広島工業専門学校復興記念産業博覧会 (昭和23年5月15日〜6月8日)
会期中に15万人を越える観覧者を迎え、64万円余りの収益は校舎増築費などに当てられた。(広島工業会提供)

開学当初の東千田地区構内 森戸道路はまだ形成されていない。写真には写っていないがこの左手に正門があった。理学部の正面に正門が移るのは昭和27年のこと。

開学記念音楽会(昭和24年11月5日)
旧制広島高等学校から引き継いだ皆実分校講堂で行われた。

新制第1号学位記 昭和34年3月24日、新制の理学博士3名が誕生した。(濡木輝一氏提供)

旧県庁跡地に移転した医学部・同附属病院(昭和32年)

開学当時の食堂
ミルク、サイダー、おかず物、天ぷらうどん、かやくうどん、牛乳といったメニュー札が掛かっている。(寺林甲子郎氏提供)

昭和26年頃の皆実分校(教養部)全景
昭和36年に東千田の附属中・高等学校と入れ替わった。

昭和30年頃の東千田地区
左手に並ぶ3棟の木造校舎は附属中・高等学校の校舎で、その後方の3階建ての校舎が附属小学校のもの。写真中央には広島文理科大学から引き継いだ附属図書館がある。(西村博氏提供)

南極での地衣植物の標本調査(昭和42年)
コケの研究で知られる広島大学はこれまで多くの研究者が極地観測に協力してきた。写真は第9次南極観測隊のもの。(柏谷博之氏提供)

炎上する学生集会所
封鎖解除の行われた昭和44年8月17日、火炎ビンにより本部横の学生集会所が炎上した。

放送公開講座
テレビ科目とラジオ科目があり、自宅で学習することができる。写真は昭和53年度のテレビ科目の収録風景。有名漫画家も登場した。

文学部の旧木造校舎(平成6年)
大学の東広島市への移転にともない、開学後全学で最初に新築されたこの校舎も姿を消した。

東広島キャンパスの秋(平成10年)
工学部前の並木通りではアメリカフウの紅葉が見られる。

東広島キャンパスの冬(平成11年)
学校教育学部と教育学部とを望む。

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