糸賀英憲先生をしのんで
天 野 晶 吉

 


 本学名誉教授であられた糸賀英憲先生(元教育学部福山分校主事)は、本年三月二十二日突然亡くなられ、私たち、先生の薫陶を受けた者たちを大いに悲しませました。
 先生は大正六年岡山市生まれ。昭和十六年東京音楽学校を卒業され、横浜市の女学校で勤務。昭和二十年に開設された広島女子高等師範学校の準備段階から勤務され、後には、女高師を母胎とする福山分校の教官として活躍されました。
 私は政経学部を卒業後NHKに入り、昭和三十五年から岡山放送局に勤務しましたが、ドイツ留学から帰られたばかりの糸賀先生と、おつきあいさせていただくことになりました。それというのも先生のご自宅は岡山にあり、放送合唱団や管弦楽団の指導を大変熱心にやっておられたからです。
 昨年末に久しぶりにお目にかかり、いろいろお話を伺うことができましたが、広島女高師時代のお話がとりわけ感動的でした。昭和二十年四月、あの戦争末期の時代に、しかも原爆投下の四か月前に、お茶の水、奈良女高師に続く全国で三番目の広島女高師が誕生しているのです。
 しかもこれは、広島市に古くからあった山中女学校の国家寄付という事実があって、初めて実現したのです。山中女学校は、大女優、杉村春子や池田満枝夫人の母校です。個人的には、私の母も山中女学校の卒業生でした。
 広島女高師は、終戦直後には吉田町に疎開し、その後安浦に移転。四期生までで短い歴史を閉じて、教育学部福山分校となりました。糸賀先生を始めとする先生方のその間のご苦労は、大変なものであったようです。
 新制広島大学の成立までには、数多くの関係者のご努力があったはずです。本学の前身の諸学校の戦中、戦後の苦難と激動の歴史を明らかにし、後世に正しく伝えることも、本学の個人にとっても組織にとっても、大変重大な使命であると、感じております。



プロフィール        
(あまの・しょうきち)
☆昭和三十五年 広島大学政経学部卒業
☆NHKテレビのクラシック音楽番組の制作者、演出者として約三十年間勤務



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