音楽をやってもゲシュタルト崩壊は元へ戻らず
坂 田   明

 


 学生時代のボクはゲシュタルト崩壊した落ちこぼれだった。十八才になるまで家事家業の手伝いをして"いい子"の振りをしてなければ生きてゆけない環境でした。
 これは大学入学と同時に爆発崩壊、実に簡単な出来事だった。家の締めつけから解放されたって急に主体的に思考し、自分の責任において行動するなど無理。糸の切れた凧に立ち直る契機を与えてくれたのはジョン・コルトレーンというジャズのサックス奏者だった。
 この人の演奏を目の前で聴いて強い衝撃を受けた。人間が肉体と精神のせめぎ合いを極限にまで押し進める姿は感動を通り過ぎ、ボクの魂の中へ入り込んできた。
 この体験により、人間が生きるということのあり方を全身全霊で感じた。一九六六年のことだ。
 以後卒業だけはしようと心を入れ替え、和声法や編曲法の通信教育を受けたりしたが、それはそれとして崩壊したものは簡単には元通りにならない。卒論書いて、親族会議で三年の期限付きで上京してジャズをやることになったが、一文なしのボクは指導教官だった笠原正五郎助教授(現広島大学名誉教授)に十万円借金をし、結婚前の妻が応援で後で上京する等の条件が整い、やっと上京した。
 シャカリキに働いて勉強して練習して三年目の終わり頃に、当時破竹の勢いだった『山下洋輔トリオ』に入団した。そこから二十七年も経つが崩壊は未だ元へ戻らない。焼かねばダメだ。



プロフィール        
(さかた・あきら)
☆サックス・クラリネット奏者
☆一九四五年生まれ、水畜産学部水産学科卒業。六九年東京でグループ『細胞分裂』を結成。七二年より七年間『山下洋輔トリオ』に参加。八○年より様々な形態のグループの結成、解体を繰り返しながらミュージック・シーンの最前線を走り続ける。海外での演奏も多く、訪れた国は五十数カ国にわたる。
☆現在、ユニット『ハルパクチコイダ』を中心に活動するほか、独自の音楽語法でジャンルにとらわれることなく数多くのミュージシャンたちとセッションを行う。
☆最新作のCD「海/ハルパクチコイダ」では広島大学の実習船"豊潮丸"をタイトルにした曲も入っている。対談集に「ミジンコの都合」「クラゲの正体」(晶文社)、著書に「瀬戸内の困ったガキ」(晶文社)、「ミジンコ道楽」(講談社)がある。



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