学長インタビューNo.33
連続オペラ公演を終えたばかりの学長に,50周年記念事業を振り返っていただきながら,広大が21世紀にはどこに向かって飛翔しようとしているのか,11月15日午後,広報委員の小澤と小松が,お話をお伺いしました。
五十周年記念事業を終えて
小澤:連続オペラ公演でお疲れのところ恐縮ですが、五十周年記念事業を振り返ってどう評価されますか。
学長:ぜんぜん疲れてなんかいないよ。オペラ公演を通じて僕が感じたことは、皆さんの力を集結すれば、すごいことができるということだ。オペラ公演が成功するか、最初は皆疑心暗鬼だった。学生の皆さんが全力を投入してくれた。それが大変うれしかった。学生から何が引き出せるかが、教師の役割だ。芸術系でない大学で、オペラ公演を実現したのは、広大が日本で初めてだ。向井さんの講演は、実は向井さんがまだ宇宙を飛んでいるときにお願いした。宇宙を飛ぶ「天女」に地上に降りて広大に講演に来てくれとお願いしたんだ。向井さんの講演は、人柄があふれていて大変よかった。武者小路さんの献茶も大変厳粛でよかった。多くの皆さんの力の集結があって、五十周年事業は初めて成功したと思う。その意味では、五十周年事業は、百点満点だ。残されているのは、記念講堂を建設することだ。まだ発表していないが、記念講堂に加えて、ファカルティクラブを建設することが決まっている。これからも皆さんにもご協力をお願いしたい。
これからの大学教育
小松:学長が二十一世紀の大学教育として目指す方向はなんでしょうか。
学長:第一の柱は、教育の充実だ。教育者は、自分のやってきた研究を学生たちに継承してもらわなければならない。それをどの程度情熱を持ってやれるかが重要だ。総合科学部にもう一度息を吹き込んでよみがえらせ、「教養的教育」を更に充実させたい。第二の柱は、総合科学部の充実とあわせて、総合的芸術学科をつくってはどうか。音楽、美術、建築、体育、演劇などを合わせて新しい発想の芸術学科をつくりたい。これからは経済の豊かさに加えて、「心の豊かさ」が重要だ。そのためには、文化を育てる努力をしなくてはならない。地域も巻き込んでこれをダイナミックに進めるための最初のステップが広大の記念講堂の建設だ。第三の柱は、高齢化が進む地域の人々に、いかに対応し貢献していくかということだ。来年の九月から、六十歳以上の学生を入学定員の枠外で一○%以上確保するということをすでに打ち出している。戦後の貧しさの中で、大学教育を受けられなかった人々は、たくさんいる。このような人たちに勉強の意欲さえあれば、どんどん入学させたらよいと思う。文学部や先ほどの芸術学科などはそのよい候補だと思う。医学部などでも保健分野や、リハビリなどは、高齢の人々に開放すべきだ。高齢者が生き生きとした学びの時を過ごし、若い学生が高齢者の学生から伝統とマナーを学ぶ。それが二十一世紀の広大の姿だ。
二十一世紀にいかに生き残るか
小澤:最後に、「二十一世紀への飛翔」のための方策について一言。
学長:独立法人化の中で、大学は二十一世紀にどうしたら生き残れるか、必死に考えなければならない。これからは大学の中味の評価で大学が生き残るかどうか決まる。もうレッテルで決まる時代ではない。広大は私の任期の間に、教育と研究の基盤整備に注力しほとんど完成した。しかし、現在の広大は戦艦だ。タイミングを逃さずに戦艦を生かすかどうかは、作戦司令部の能力と艦長の判断力、実行力にかかっている。この点については、広大シンクタンク機構をつくり、学長室のもとに置いたらよいと考えている。二十一世紀の大学は、社会が大学に何を求めているかを把握し、大学の研究をそのために生かしていくための努力を常に続けていかなければならない。シンクタンク機構には、そのための調査、広報、政策策定など、これまでの大学教育センターとはまったく異なる機能を持たせる。二十一世紀に飛翔する大学であるためには、社会に開かれた大学、教師の意識の改革、大学の制度改革が必要になる。私の残された任期一年の間に、このための道筋だけはつけたいと考えている。
広報委員:今日はご多忙にもかかわらず、時間を割いていただきどうもありがとうございました。
小松広報委員
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小澤広報委員
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