自著を語る

『戦後大学改革』
著者/羽田貴史
 (A5判,254ページ)
 4,500円(本体)
 1999年/玉川大学出版


 



 私の属しているある研究会で、拙著を書評してくれると編集委員の方から聞き、「あなたが読んでくれるの?」と問うたら、「あんなテクニカルな本よう読めんで」と名古屋弁?で返された。「はて、テクニカルとはいかなる意味か?」と考え込んだが、ぴんとこない。少しして「オタッキー」(「オタク」の形容詞形)ならあてはまるかもしれないと思い当たった。最近、「○○の冒険」などと題する哲学の出版など相次ぎ、思想なき二十世紀末の人文・社会科学は工夫に余念がない。そんな風潮とは関係なく、戦後大学改革に関する政策文書を集めて分析し、その分析のプロセスにかなりのウェイトをおいたこの本は、関心のない人にはまず「面白くない」だろうなと、確信している。「面白い」と書けばだまされて買ってくれる読者もいるかもしれないが、不当表示で訴えられるのは明白だから正直に書く。
 しかし、念のためにいえば、私自身は面白がって書いた。高等教育政策史は、研究者の層が薄いせいか、公開されている公文書の読み解きが不十分なまま定説ができてきた。謎や前後の不整合がたくさんある。その謎解きのつもりで味気ない政策文書も読み砕いたから、自分なりには、推理小説でもある。また、自分も加わって岩波書店から出した『教育刷新委員会教育刷新審議会会議録』も、何度か精読し、状況の中に発言をおいてみると、南原繁や務台理作の発言の意味が鮮明に浮かび上がってくる。文部省の会議室の古いテーブルを囲んで(もちろん私は出席したことはない)、参加者の顔を思い浮かべながら(もちろん私は会ったことはない)、論争の形を取らない論争や、ある発言者の速記を読みながら、相手方の表情を推測したりと、ひとりでひそかに楽しみつつ、ワープロのキィを叩いてできたのが、拙著である。「オタッキィ」を自認するゆえんである。もとになった論文は、十年前のもの、新制大学五十年を前に出版できてよかったと思っているが、各大学で年史編纂に取り組んでいる編集者たちは、「テクニカルな」本を読まされてかえって迷惑なのかもしれない。


プロフィール        
(はた・たかし)
☆一九五二年北海道生まれ
☆一九九四年から広島大学
 大学教育研究センター勤務





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