2000字の世界(33)
世界との差
─MTB:マウンテンバイクという競技から得たもの
文写真・ 北村 圭介(Kitamura, Keisuke)
理学部生物科学科4年(分類・生態学講座)
1998年に学部4年次を休学し、目標であったアメリカでの世界放浪自転車RACE生活を体験した。主な居住先はハワイ島のヒロ(兄の留学先)、カリフォルニア州ヨセミテ公園近くのスキーリゾート、マンモスレイク、そして、ユタ州ソルトレイクシティ近くの別荘地パークシティだ。
以下にその生活内容を記す。
とりあえず本土へ
ハワイでは兄がある程度の世話をしてくれたが、アメリカ本土では知り合いも友達もいない中で如何に生きていこうか悩んだ。頼れる人がいると自分は弱いのですぐ頼り切ってしまうと分かっていたから、日本人には頼らない事と大学一年からこつこつ貯めてきたお金を無駄にしない事だけは心に決めていた。本土にきた目的は、自分のやっているMTBという種目は西海岸からコロラドにかけて盛んに行われているので、そこでMTBという競技での世界のトップと環境を知るためであった。
毎日の生活
もう、どうしようかー?と思うほどお金がなかった。なぜなら、自分は二十五歳以下だったため車の保険が高くついたからだ! かと言って車が無いと生活できなかった。ある時期、食費が一日四ドルだったので六十九セントのチーズと七十九セントの七面鳥のハムと六十九セントで十二枚入りのタコスの皮でなんとか生きていた。まだRACEがあるときは友人やオフィシャルにおごってもらっていたので、お腹は満たされていた。
仕事
アメリカでの生活や競技の事を日本の雑誌に載せてもらったり、蘭を栽培している日系人の所で働いたりしていたが、何とかアメリカで競技に関わりたいと思い競技をしながら友人のメカニックのもとで働かせてもらっていた。はじめは全く相手にしてもらえなかったが、RACEを重ねる度にだんだんと話をしてくれるようになった。
ショック
メカニックのサポートをするようになって選手とも話す機会を得た。そこで、自分に重大な欠陥がある事がわかった。それはいつのまにか目標を持って生きていない事であった。それに気付かされたのはサブリナという一人の女性だった。彼女は自分の働いていたチームのセミプロライダーだったがそんなに強くない選手だったので、メカニックの待遇も良くなかった。でも前向きにいろいろな事に対処していた。彼女に「これから、どういう方向に進むの?」と聞かれた時、答えられなかった。ショックだった。
プロ意識
多くの世界のプロの選手は日本の選手と比較すると、競技力だけでなく学歴や資格等も持っていて個人としての力を最大限に出して、決して弱さを表に出さない人間ばかりだと感じていた。しかし、ある日、自分と何も変わらない事を知った。それはサブリナが弱さを見せた時の事だった。優勝候補のトップの選手たちがミスをして敗退していくなかサブリナは勝ち上がっていったが、次の相手は世界チャンピオンだった。いくらセミプロのサブリナでもさすがに緊張し、いつもの笑顔が消えていた。「どうしよう!どうしよう!次は世界チャンピオンよ!緊張に押し潰されそうなの」と泣きそうなサブリナを軽く抱きしめて「大丈夫だよ!サブリナ」と慰めることしかできなかった。この時、雲の上の存在であるアメリカのプロ選手たちでも、悩んで緊張するんだ。一般の人と全く変わらないじゃないかと感じ心が軽くなった。
意識の差
前文を否定するようだが、個人としての意識の差は日本人と世界を比べてもやはり歴然としている。それは、世界のプロの選手だけでなく、障害を持った多くの競技者や一般の選手からも容易に感じ取れた。そして、生活全般では多民族国家であるアメリカでは、いろいろな考え、発想が交錯し、日本とは比べようも無いほどの刺激を感じとる事ができた。たくさんの人が見ず知らずの自分に手を差し伸べてくれた! 幸せな日々だった。
得た物
小さな事で悩んでる時間が長かった休学前、今では悩んでる時間さえも次のやるべき事に無意識に体が動き、失敗しても落ち込まなくなった。最後に、ある友人がくれた言葉を記す。
Life is short. Do not hesitate.
左から、1998年女子ジュニアチャンピオンのサリー・ヨルゲンソン、メカニックのモンキーさん、そして筆者
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