贈る言葉

 停(定)年を迎えられる皆様へ 

広島大学長  原 田 康 夫


 この度、本学より五十三名の方が退職されます。長年広島大学に勤められ、この三月末をもって停(定)年を迎えられることになりました。長年の皆様のご苦労に対して、お礼を申し上げると共に、無事停(定)年を迎えられたことに対し、心からお祝い申し上げます。
 今年度最大の行事であった、昨年十一月に挙行した広島大学創立五十周年記念式典などの事業も、無事終えることができました。皆さんはこの五十周年事業を、ある意味で大きな感慨をもって見守られたことと思います。
 思い起こせば、あの学園紛争に明け暮れた時代、それから統合移転で何かと忙しく、段ボールに物を詰めたり出したりしたことなど、当時は大変でしたが、今思えば、全てが懐かしい思い出です。
 その後、東広島キャンパスも年々整備され、見違えるほど美しくなりました。念願の桜も千百十一本植わり、五十周年記念式典当日の十一月五日には、国際交流協定を締結している外国の大学から贈られた木による「国際の森」植樹式も終わりました。
 今は、まだ構内に植樹した木々も小さなものですが、五年も経てば立派に育ち、幹は太くなり、葉も青々と茂ることでしょう。
 皆さんが青春と人生の大半を過ごされた広島大学です。時には新キャンパスへも足を延ばして、その成長ぶりを見てやってください。
 さて、退職されてからの人生ですが、何か目標を持って学習することは、人の心を老けさせません。
 私も昨年、半年かけてオペラ「蝶々夫人」のピンカートン役を作ってきました。若い学生、音楽科の先生方に混じって皆でやるオペラの一兵卒として勉強しました。年を取ってのイタリア語の歌詞は大変でした。
 大学へ通勤する往復の二時間、夜自宅に帰っての一時間、夜中に目が覚めますので、その時に一時間、この繰り返しの毎日の半年間でした。
 しかし、このことの成果で、三回の公演日には、歌詞の一つも落とすことなく、約三時間に及ぶオペラを歌い遂げました。しかも、あまり心配すること無しに全幕を演ずることができました。
 やはり、自分が目標としたことをやり抜くという情熱は、体調をも良くして、心配した風邪もひくことなく過ごせました。
 今私に課せられたことは広島大学を如何に立派な大学にするかということです。建物等のハード面は、病院を含め整備できました。これからは、教職員の意識を変えて、たとえ独立行政法人化となっても、充分に日本の雄としての地位を保つことができるかであり、これに全力を傾注するべく情熱を燃やしています。
 人間は、自らの意識しだいで「老け」もし、「若く」もなるのだと思います。このため、私は、今年から六十歳以上の人で、学問に対して意欲のある人を、学部入学定員の十パーセントを定員外で採る方向で、今検討しています。皆さんの中で、意欲のある人は、この制度を利用し、また広島大学に帰ってきてください。
 また、五十周年メモリアルホールは、今年着工します。幸い宿泊のゲストルームやレストランを備えたファカルティクラブは、国から予算措置してもらえました。
 私自身は、五億円集めるつもりです。あと十億円を卒業生などから集めていただく予定ですが、まだ目標額の一割程度しか集まっていません。私としては、懸案の五十周年記念事業が終了したので、現在このホール建設資金を集めるため、情熱を傾け日々努力しています。皆さんにも是非応援頂くようお願いいたします。
 どうぞ、今後とも健康には充分留意され、第二の人生を楽しみ、有意義に過ごしてください。
広大フォーラム31期5号 目次に戻る