開かれた学問(78)

 言語地理学から社会言語学へ 

文・ 高 橋 顕 志

 
 小学校の頃、授業中勉強に身が入らず先生の目を盗みながら、消しゴムを肥後守で細かく刻み、先生が黒板に向かったその瞬間をとらえて、そこここの友人にそれを投げ、ぶつけて遊んだ。先生に見つかり、「テアソビセラレン!」と、ひどく叱られたことがある。
 私の出身地、愛媛県中予地方では、禁止の表現として助動詞レル・ラレルの否定形を使用する。「書いてはいけない」はカカレン、「食べてはいけない」はタベラレン。したがって後半部分のセラレンというのは、「してはいけない」という意味である。
 前半部分、テアソビは「手遊び」であろう。体を大きく動かすのではなく、先生に見つからないように、コソコソと机の上で、それも前席の人の背中に隠れて行うその行為を的確に表現している。
 レル・ラレルを利用する禁止の表現が方言的な言い方であることは早くに気づいたが、「手遊び」は共通語だとずっと思っていた。
 広島大学は、全国各地から学生が集まってきている。入学式を済ませ、それぞれのクラスに入り、またサークルに、オリキャンのグループが作られ、アパートの隣人たちとのつきあいも始まる。新入生の中に小さなグループが様々に、重層的に形成されていく。友人ができはじめ様々な会話が始まる。
 そこではじめて気が付く。「共通語だと思って使ったことばが通じない!」


授業で

 学校教育学部で開講している「国語学V」の授業では、学生とともにこのような「気づかない方言」の分布図を作成している。授業参加学生が一人一つずつそのようなことばを見つけ出し、それを調査文として完成させる。全員の調査文をまとめた調査票を大量に印刷し、全員で大学での友人や故郷の友人たちに対してアンケート調査を行う。
 以下の作業はすべてコンピュータ上で行われ、ことばの分布図が完成する。アンケートの冒頭に、その人の出身中学校名を尋ねる項目があり、その中学校の所在地に、その人のことばの使用に関するデータが記号としてドットされていくのである。次ページの図は、さきのテアソビに関する分布図である。四国での(私の)テアソビは九州にも色濃く分布するが、中国地方ではテワルサとなり、またそれは関東の北西部にもかたまった分布を見せている。


方言の撲滅

 かつて方言が撲滅されようとした時代があった。
 近代国家としての体裁を整えようと殖産興業・富国強兵を旗印にして西欧の列強を追っていた明治のころ、長年続いた藩制による諸国のことばの違いは大きく、人々の意志の疎通はそれによって阻害されていた。こういう時代、方言はマイナスに評価されるのは当然であり、それは撲滅されるべき対象となった。
 敗戦によって御破産になった近代国家のその体裁をふたたび整えようと、今度は高度経済成長を旗印として西欧化を進めた時代、方言はふたたび撲滅されるべきものと位置づけられた。戦士たちが画一的なことばを持っていれば巨大システムとなった近代産業での仕事の能率はあがる。そこではあたたかみやぬくもりはいらない。微妙なニュアンスは伝わらなくてもいい。正確さだけが求められたのである。さらに、画一的な考え方を持っていれば、ことばさえいらなくなる。ひとつの共通の目標に向かって、まさに黙々と働けばよい。当時、この国が目指していた工業立国のための、つまり第二次産業のための戦士たちは画一的なことばを持ち、画一的なものの考え方を持つことが求められていた。学校教育もその人材を養成することが基本的な目標であった。


生き残った方言たち

 そのような方言撲滅の時代をくぐり抜けながらも方言の差は厳然として存在する。さきのテアソビとテワルサの分布図はそのことを示している。
 このような調査は、私が広島大学に赴任した一九九三年から継続して行っている。昨年度まで六年間、八次にわたる調査で四五六項目(一一七四葉)の分布図が完成しており、それらはすべてインターネットのホームページに公開している。これらの図はすべて、さきのような方法を採ったものであり、方言の多く残るお年寄りの回答ではなく、現代の大学生世代に回答してもらったものである。この世代でも、まだこれだけの方言差が、このように存在するのである。
 一連の研究の中で、「気づかない方言」の中に「学校教育で継承される方言」という下位範疇がありそうだということが見えてきた。さきのテアソビ・テワルサ、また、模造紙を意味し愛媛県・香川県・沖縄県に分布するトリノコヨーシ(鳥の子用紙)、愛知県・岐阜県のビーシ(B紙)、さらに鹿児島県・宮崎県で「服装検査」を意味するヨーギケンサ(容儀検査)などである。教師が使用する語だからというので、子どもたちはそれを「共通語」だと考えているようなのである。
 ところで、広島県内でこのヨーギケンサということばが使用されている(いた)中学校が、現在三校発見されている。鹿児島あるいは宮崎出身で、(おそらく)広島大学を卒業した誰かが、広島の公立学校に就職し、自分のことばを学校内に広めたのではないかと考えているのだが…。広島市内某中学校で現在使用されている「学活ノート」の「今日の反省」の欄には「提出物」・「ベル着」・「忘れもの」などとともに「容儀」の項があがっている。


地域言語から社会言語へ

 さて、「ベル着」(学校用語。授業開始のベルと同時に着席し、授業にすぐとりかかれるようにしよう、という意味。)ということばは、従来の意味での方言ではない。ある社会集団の中でのみ使用され理解される「隠語」の類である。
 どこか淫靡さが漂い、手垢のついた「隠語」という術語が、最近見直されはじめている。それらを「社会言語」と捉えなおし、従来の方言(これも手垢がついてしまった)を意味する「地域言語」と対比させる形で、ともに言語の変異種として見、言語変異の一般理論を構築しようという試みである。
 皮肉な見方をすれば、全国共通語化によって、従来の地域言語の総量が少なくなり、研究対象の減少により活躍の場を失いつつある「方言学者」が、新たに活きる道として、社会言語の世界に視点を移動させ、肥沃なフィールドを再発見したのだと言えるかもしれない。また、それは学者の視点が「民族」・「民俗」から「風俗」へ動きつつあるのだとも言える。
 コギャル語、若者ことば、さきのベルチャクを代表とするような学校ことば、サンタン(昇給の三か月短縮)・エンシン(昇給時期の延伸)のような組合ことば、さまざまな社会言語が、実に多量に存在する。語彙だけではなくアクセントやイントネーションの世界においてもそれは存在する。
 これらの変異のありようは、上でみたような言語地図の形では表現できない。また、変異種の存在を列挙するだけでは学問とはなり得ない(従来、日本方言学の成果とされているものの中に、羅列で終わっているものがいかに多いことか!)。社会言語という限り、現実の社会の構造とことばの世界とがどのように一致し、また一致しないのか、社会言語のありようを言語史学の中に組み込んでいけるのかいけないのか、言語地図に匹敵する明示的な表現方法が開発されるとともに、社会言語学の理論的な枠組みの構築が待たれるところである。

「テアソビ」と「テワルサ」の全国分布




 プロフィール

(たかはし・けんじ)
☆一九五一年生まれ
☆一九八○年 東京都立大学大学院博士課程退学
☆高知女子大学を経て、現在、広島大学学校教育学部教授
☆言語地理学・社会言語学専攻
☆ホームページURL
(二○○○・三・三十一まで)
http://www.ipc.hiroshima-u.ac.jp/~hoogen
(二○○○・四・一から)
http://home.hiroshima-u.ac.jp/hoogen



 
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