「東千田キャンパス祭'99」を終えて
文・ 田 原 美 和
(Tahara, Miwa)
法学部4年
十一月十四日、広島大学跡地(現東千田公園)において『広島大学東千田キャンパス祭'99』が開催された。今回の学祭は『東千田わっしょい祭』と同時開催ということで、両方の主催者による共同の準備が進められたわけだが、学祭の方の実行委員が準備を始めたのは、約一カ月前だったという。
ここで断っておくが、私は実行委員ではない。頼まれて、司会を引き受けただけである。ちなみに司会を引き受けたのは、学祭のちょうど一週間前。私は当初、引き受けるつもりは毛頭なかった。しかし、実行委員は二年生が九人だけと聞き、それこそ拝み倒すようなかたちで頼み込まれての参加となったわけである。
このことからもわかるように、とにかく今回の学祭で何が一番大変だったかというと、企画する側の人間が集まらなかった、というこの一点に尽きるだろう。人手が足りないということは、準備の時間も少なくなってしまうということにつながる。その少ない人手を補うために、実行委員の九人は毎日遅くまで大学に残り、様々な企画の細部に至るまでアイディアを出し合い、互いに話し合いながら、準備を進めていった。
その大変な中でも、彼らにとって救いだったのは、先輩方の協力があったということだろう。実際、私のような四年生や、今は大学院生となっている東千田の卒業生などが、少なからずアドバイスやサポートを行っていた。ときにそれは、「スルドイ突っ込み」ともなり、彼らに新たな課題を与えたりもした。先輩たちからの指摘や、様々な問題に悩まされながらも、彼らは懸命に、頑張っていたと思う。それはもう、見ているこちらの方が、痛々しくなるほどに。
学祭を見に来たり、参加するということは、結構楽しいものである。しかしながら、たった一日、いや、たった半日の事とはいえ、そのお膳立てをしている人たちがいるからこそ、楽しめるのだということを、わかってもらいたい。そして、少しでも学祭を楽しめたという人は、今度は学祭をつくるという楽しみ(苦しみ?)をも、味わっていただきたいと思う。学祭は、学生の手によってつくられるわけで、来年度はぜひ、「作る側の」学生が増えていることを願いたい。
さて、学祭当日。その日、私は、午前七時過ぎに会場に行き、原稿の最終チェックをしながら、実行本部の席を温めていた(つまり何もしていなかったわけである)。もちろん、実行委員と先輩方は、私が着いたときにはすでに会場づくりにとりかかっており、目の回るような忙しさだったようである。何か手伝えないか聞いてみたのだが、「司会をしてもらうだけでも、ありがたいので、ゆっくりしていて下さい。それじゃあ、本部の留守番でもお願いします。」と言われ(なんていい子たちだ!)、結局なにもせずに午前十時からのフリー・マーケットのスタートを迎え、ステージ企画の開始時間である正午を迎えてしまったというわけである。
さすがに私も出番で緊張していたのだが、オープニング・セレモニーが終わる頃にはもう、自分でもかなり楽しめていたように思うし、若返った気がした。ステージではバンド演奏もいくつかあったが、決して学生だけではなく、一般の方々の参加も多かったという点、やはり東千田キャンパスは地域に溶け込んでいるのかな、と感じさせられた。バンド演奏のあとは、実行委員が企画したミニ・ゲームなどが行われ、観客の人々にも参加してもらい、会場はとても楽しい雰囲気であった。
ステージ企画はなかなか順調に事が運んでいたが、その間、実行委員たちはほとんど休む暇もなく、走り回っていた。駐車場の整備から、それぞれの企画の準備まで、全員で分担してやっていた。彼らは楽しむどころではなかっただろうが、おかげで大きなトラブルもなく、時間もほとんど予定通りにすすんだ。出払ってしまっていた実行委員に代わって、実行本部をとりしきってくれたのは、先輩方であったが、実行委員とは携帯電話を使ったりして、連絡をとりあっていた。実行委員の努力と、先輩方の協力、わっしょいスタッフの方々の力がなければ、この学祭の成功はありえなかっただろう。
私にとっては、おそらく大学生活最後の学祭となったわけだが、充実した一週間と、いい思い出ができたことに、とても感謝している。特に、実行委員の九人には「お疲れさま」「ありがとう」と言いたい。
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