大型構造物試験機の思い出

 信 川   壽(のぶかわ ひさし) 工学部第四類運動システム講座 


〈部局歴〉
 昭和37・4 (民間)       55・5 (四国工業技術試験所)
   40・4 工学部        61・6 工学部
   
 


 アポロ有人宇宙船が月面に着陸したころ、科学技術は巨大構造物、巨大システムの開発に向けられていました。そのころ工学部に大型強度試験室が発足し、そこに長さ十五で断面寸法が二四方の試験体を三千まで圧縮(引っ張りは千五百)できる構造物試験機が移設されました。この試験機には、戦前から戦後の日本の歴史が凝縮されています。ワシントン軍縮会議で日本の海軍力が欧米のそれらに比べ劣勢に押さえられたため、日本はひそかに超高性能戦艦(大和)の建造にふみきり、このような情勢の中で昭和七年ドイツからこの試験機を購入しました。この試験機の全長は二十八もあり、当時の貨物船の船倉には搭載できず、甲板上に載せて横浜港まで運び、東京三鷹の現船舶技術研究所に設置する予定でしたが、当時の一般道路の交差点が通過できず、やむを得ず呉の海軍工廠のドック(後に大和を建造したドック)のすぐ傍に設置されました。そして昭和三十年代後半から計画されはじめた巨大タンカーの建造のための強度試験に使われた後、昭和四十二年に五十万トンタンカーの建造のため、このドックの拡張に伴って試験機の広島大学移設となりました。工学部へ移設後は、明石大橋の建設に伴う大型構造物の試験などを行ない、日本の巨大構造物の開発に貢献しています。これからも末永く学生の教育、産業界の技術開発に貢献し続けることを願っています。


大型構造物試験器



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