思 い 出
岩 田 光 正
(いわた みつまさ) 大学院国際協力研究科開発技術講座
〈部局歴〉
昭和43・3 工学部
平成6・6 大学院国際協力研究科
昭和四十三年三月二十五日、私は名古屋大学の大学院を単位取得退学し、翌朝広島駅に着いた。十時ごろ工学部長から講師の辞令を戴いて嬉しかった。その夕方、平和記念館の周りをゆっくり歩いて帰ったが、それは、私が九才のとき、昭和二十年十月に朝鮮を追われて岐阜県に戻る途中、広島駅で原爆の焼け野原を通ったのを覚えていたからだ。
船舶工学科の一つ、溶接工学講座に入った。教授は強度学的、私は冶金学的な講義を担当し精一杯頑張った。毎年六から八人の学生の面倒を見たが、卒論発表前の一週間は研究室に三時間以下の睡眠で泊まったものだ。学生諸君も私も必死だったが、今は楽しい思い出だ。
十七年前、マサチューセッツ工科大学に十カ月間滞在したが、そのころから、非破壊検査、腐食防食工学へと研究の範囲を広げていった。幸い、平成六年六月二十五日、大学院国際協力研究科に移ることができた。研究科の建物も二年前に完成した。目出度しとするべきだろう。
教職員の皆さんには大変お世話になりました。有り難うございます。
学生たちと(右から3人目より黄先生、岩田、斉藤先生)
広大フォーラム31期5号
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