2000字の世界(34)
私の楽しみ
文・ 黒 田 健 司(Kuroda, Kenji)
生物生産学部4年
大学生活を終えようとする今、これまでこの西条の地で何をしていたのだろうと考える機会が多くなった。もし、大学生活の膨大な時間の中で、学業以外に何をしていた?と聞かれたら、おそらく迷わずに部活動と「釣り」と答えるに違いない。それほど「釣り」は私にとって欠くことのできない趣味となっている。
豊かさを求めて
私が「釣り」を始めたのは物心ついたときからで、父親や従兄の手ほどきがきっかけであった。以来今日まで、どちらかと言えば「釣り」三昧の日々を送ってきている。「釣り」とは不思議なもので何年経っても飽きることがない。加えて、他の趣味でも同じかもしれないが、「釣り」を通して仲間ができたり、見知らぬおっちゃんと熱く会話ができたりする。このように趣味を持つことで交際範囲も広がるし、豊かな生活を送ることができる。そういえば、ある講義の中である教官が「あなたたちは趣味を持っていますか? 定年退職してから何かを始めようとしても無理です。定年退職後に何か趣味を持っている人は、知力体力のある若いうちからすでに始めているのですよ。今のうちから何か趣味を見つけておいたほうがいいですよ」とおっしゃっていた。確かに趣味は心身ともに健全な人生を送るのに必要なものと思う。そういえば最近、趣味のない人が多いように感じる。無趣味の人はいったい何をして過ごしているのだろう。勉強、仕事、それが趣味なのだろうか。
釣り師の特権
私は昔から川や海へ行って魚と戯れることが楽しかった。子供の頃は費用をかけずに楽しんでいたが、大学生になりアルバイトで自由に使えるお金が手に入るようになってからは釣り道具に凝りだした。それに、ここ西条からは車で三十分程走れば海に着く。こうなると行くしかない。夜な夜な海へ行きメバル、スズキ、イカ・・・を釣った。釣った獲物は私の重要なタンパク質源として食料となり酒の肴になった。魚を釣ることだけではなく、釣った魚を食べる楽しみもある。実際、釣りたての魚の味というものは釣り師にしか味わうことができないと思う。私の中でもっとも印象に残っている味と言えば、冬に釣ったコウイカの刺身を食べた時のものである。もともとイカの刺身にはあまりいいイメージがなかった。それはベトベトした食感が気にくわなかったからだ。しかし、生きているイカを刺身にして食べたところ、何とも言い難い歯ごたえと甘みが口いっぱいに広がるではないか。こんなに美味しいものだったのか!と、心底驚いた。イカに限らず、釣りたての魚(イカは魚ではないが)はどのように調理しても美味しいものだ。極上の味覚を満喫できるのは釣り師の特権でもある。
"いぶし銀"との知恵比べ
「釣り」と一口に言っても、内容は非常に多種多様である。それは、対象とする魚種が異なれば釣法も異なるし、同じ魚種でも潮の状況、季節、または場所により釣法が異なってくるからだ。この中で、私が今最も熱を上げているのが「チヌ(クロダイ)釣り」である。なぜ「チヌ」なのかと言うと、この魚は瀬戸内海に多数生息し、気軽に狙える反面、釣るのが難しいと言われているからだ。それに、見た目が凄く渋い。一言で言うといぶし銀という感じがする。このいぶし銀との知恵比べが面白いからだ。「チヌ釣り」にも幾つかの釣法があるが、私は「フカセ釣り」という釣法に力を入れている。一方、「釣り」が本格化すればするほど、奥の深さを感じるようになる。対象とする魚はもちろんのこと大自然が相手であるので、潮汐や季節によって仕掛けを変え、狙いの魚がいるポイントを見つけることが肝心である。それに潮流はかなり複雑で、それが読めるか読めないかが釣果に大きく影響する。よって、釣り師は頭をフルに回転させ、少しでも魚に近づく努力をする。このように「釣り」を理論的に考えて行えば(経験に基づいた勘も必要だが)面白さは一層増す。考えぬいて仕留めた一枚は、極上の喜びをもたらす。しかし、一筋縄でいかないのが「釣り」でもある。この魚との知恵比べが釣り師を虜にする。私の趣味が続く理由でもある。
私が「釣り」を通して感じることは多い。仲間も増える。たかが「釣り」、されど「釣り」でもある。「釣り」に限らず、他の趣味においても同じことが言えるのではなかろうか。趣味は「心のリフレッシュ」や視野を広げることにも役立つような気がする。趣味を持てば違った世界も見えてくる。
「フカセ釣り」で釣ったチヌを片手に石田君(友人)と筆者(右) (広島県豊田群安浦町にて)
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