開かれた学問(79)

 ヘリコバクター・ピロリって何? 

文・ 三 原 充 弘
保健管理センター助手

ヘリコバクター・ピロリという細菌を御存じですか
 胃炎、胃潰瘍、十二指腸潰瘍、胃癌、ある種のリンパ腫、など、多くの胃・十二指腸疾患との関連が指摘されている細菌です。今までの、消化器病学の教科書を書き換えるほどの多くの発見、研究がピロリ菌に関して行われています。現在まで分かっていることを含め、ピロリ菌の歴史、病気との関連、治療法などについて簡単に述べていきたいと思います。

 



1 ヘリコバクター・ピロリは
 なぜ見つからなかったか?


 みなさんは、ヘリコバクター・ピロリという名前を聞かれたことがありますか?最近、時々新聞でも見かける名前です。しかし、この細菌が初めて培養されて、まだ二十年もたっていない事はあまり知られていません。
 そもそも、この細菌は何で、どんな働きをしているのでしょうか? それを知るためには、発見の契機からお話ししないといけません。話は一八○○年代にさかのぼります。
 胃の中に細菌がいるかどうかについては、一八九三年、Bizzozeroがイヌの胃の螺旋菌を報告したのが最初の文献と言われています。その後、ヒトの胃の中にも細菌がいるという報告が、一九○○年頃から一九五○年頃まで続きました。しかし一九五四年、著名な病理学者Palmerが、一一四○件の胃の組織を調べて胃には細菌はいないと発表し、これが定説になっていました。その後、この分野での研究は停滞していましたが、一九七九年オーストラリアの病理医Warrenが、炎症のある胃粘膜には螺旋菌がすんでいると報告しました。しかし、この時点では螺旋菌の培養には誰も成功していませんでした。
 一九八二年内科研修医だったMarshallが、Warrenの螺旋菌研究を手伝うようにいわれ培養を始めましたが、なかなか成功しません。これは、培養時間を今までの手順に従って四十八時間に限っていたためと思われます。その年のイースター、助手がたまたま四日間の休日の間、培養シャーレを恒温室に放置していました。五日目、培地上に直径一のコロニーが発見され、一九八二年四月十四日世界で初めてヘリコバクター・ピロリ(Helicobacter pylori)が培養されました(写真1)。
 何度か名称の変更があり、現在ではヘリコバクター・ピロリ(以下ピロリ菌と略します)と呼ばれています。ヘリコの名称はヘリコプターにちなんでつけられ、ピロリは、最初の発見場所(胃幽門部)にちなんでつけられています。また、Marshallは、ピロリ菌が胃の炎症の原因であるかどうかを調べるため、自らピロリ菌を飲む感染実験を行い、ピロリ菌と胃粘膜の炎症に関連があることを証明しました。

写真1 ヘリコバクター・ピロリ菌の電子顕微鏡写真



2 ヘリコバクター・ピロリは
 どこから感染するか?


 WarrenとMarshallの発見以降、ピロリ菌に関する多くの疑問点が生じました。感染経路に関する疑問もその一つです。多くの先進国では、ピロリ菌の感染率は低く、年齢とともにゆるやかなカーブを描いて上昇します。開発途上国では、若年時から高い感染率です。
 では、我が国ではどうでしょうか。図1に、我が国のデーターをお示しします。若年層では感染率が低く、徐々に感染率が上昇し、四十〜五十歳台からほぼ一定になっています。このように、年代により感染率は異なっています。
 一般に、ピロリ感染は、他の多くの経口細菌感染と同様に、住民の衛生状態と密接な関係があるとされています。現在最も有力視されている説は、水系感染です。
 ペルーでは、使用する水系によって感染率が異なることが報告され、感染率が高い群の人々が飲料水として使用していた水系よりピロリ菌を検出したという報告もあります。
 一方、我が国を含めた先進国では、水系感染を支持するデーターは得られていません。しかし、特に開発途上国で感染率が高いこと、我が国でも衛生状態が劣悪であった五十歳台以上に感染率が非常に高いこと、開発途上国から水系感染を支持する報告が見られること、などから有力視されている説です。(もちろん、我が国の水道水が感染媒体になったという報告はありません。)感染経路に関する疑問も、今後解明されなければいけない項目の一つです。  

図1 健康人におけるヘリコバクター・ピロリ菌抗体陽性率



3 ヘリコバクター・ピロリと
 胃癌は関係あるか?


 Warrenは、胃の中に螺旋菌がいる人は胃粘膜の炎症が強いことに気づき、それがピロリ菌発見のきっかけにもなりました。では、ヘリコバクターピロリは、ヒトの胃に対してどんな作用を起こしているのでしょうか。
 一九九四年にWHOの下部組織である国際癌研究機関(IARC)から、肺癌における喫煙や、肝細胞癌におけるB型肝炎ウイルスとの関連と同様に、ピロリ菌は胃癌と明らかに関係がある(definite carcinogen)という報告がなされ、世界的に大きな関心事となりました。その根拠は、主として多くの疫学的研究から成り立っていました。
 しかし、一方では一九九三年の時点で胃癌に罹患している日本人は二十三万五千人であり、日本人全体の感染者約六千万人からみると○・四%(累積発生率も数%以下)にすぎず、大半の感染者は慢性的な胃炎の状態で一生を終えるという事実があります。
 このような差異がどのようにして生じるかが、大きな問題点になっています。ピロリ菌の、菌の種類による違いなのか、感染期間の違いなのか、環境の違いなのか、ヒトの側の感染に対する反応の違いなのか、未だはっきりした結論は出ていません。
 動物実験における研究は、有効な動物モデルの確立が困難であったため遅れていましたが、一九九八年に、我が国から世界に先駆けて動物実験による発癌の報告がなされました。すなわち、スナネズミにピロリ菌を感染させ、感染六十二週後に二十七例中十例(三七%)に胃癌の発生をみたという報告です。これは、化学発癌薬を用いない自然経過での発癌ということで、世界中の研究家に強いインパクトを与えました。
 しかし、ヒトにおいては、先ほど述べましたように、ほとんどの人は胃癌に罹患することなく、一生を終えます。
 現在我が国において、ピロリ菌感染者と、ピロリ菌除菌者(菌を治療した人)の胃癌発生率の違いを調べる研究が行われています。近い将来、この問題にも結論が出るものと思われます。


4 ヘリコバクター・ピロリと
 除菌について


 一九九四年、米国のNIH(National Institute of Health)は、「ピロリ菌陽性の消化性潰瘍患者は初発、再発を問わず除菌治療すべきである」という勧告を出しました。しかし、現在我が国では、ピロリ菌の除菌は保険診療として認められていません。
 現在、世界的に除菌治療の適応とされている疾患は、胃・十二指腸潰瘍の人、ある種のリンパ腫の患者さんです。また、早期胃癌を内視鏡的に治療した人も対象にするガイドラインもあります。胃の症状の強い人、胃粘膜の炎症の強い人については、未だ一定の見解は得られていません。
 では、除菌治療には問題点はないのでしょうか。一つには、除菌後に認められる、胸やけを主訴とする逆流性食道炎があげられます。我が国では、二〜一○%の頻度で除菌後に逆流性食道炎の発生があるという報告が多く認められます。もう一つは、耐性菌が増加するのではないか、という懸念がなされています。除菌治療には、酸分泌抑制剤と、抗菌剤二種類の三種類の薬剤を使用する施設が多いのですが、そのうち、ある種の抗菌剤に耐性をもつピロリ菌が増加しているという報告も認められています。これらは、除菌治療を行う上での問題点と思われます。
5 今後の展望

 今まで述べましたように、ピロリ菌が、ある種の胃や十二指腸の病気と関連していることは、ほぼ疑いのない事実です。しかし、未だに不明な点も多く、これからのさらなる研究の成果が待たれています。



 プロフィール

(みはら・みつひろ)
☆一九六五年三月十七日生まれ
☆一九九○年広島大学医学部医学科卒業
☆一九九八年広島大学医学部内科学第一講座助手
☆一九九九年広島大学保健管理センター助手
☆専門分野
消化器内科学、Helicobacter pylori感染と上部消化管疾患について




 
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