ことばを磨いて大人になろう!

附属図書館長 位藤 邦生




 広島大学を卒業して実社会に出てゆく学生には、情報機器の運用と外国語によるコミュニケーションの技術を、ぜひ全員に身につけさせたい……原田学長の発意により、この春から、西図書館三階に、これらの習得のために欠かせぬ情報・音響機器が大量に備えられました。新入生諸君にも、充実した設備をフルに活用して、将来、どの分野であれ、自分の望む仕事に就くことができる実力を養ってもらいたいと思います。図書館も伝統的な書物(紙資料)の収集だけでなく、多くの電子資料を収集・提供して、大学構成員の期待に応えられるよう頑張っています。新入生諸君が、今後、広島大学において、教養的科目と専門科目を二つながら身につけ、広い視野をもって、臆することなく社会に飛び込んでゆける真の大人へと成長してゆくのを、私も期待しています。
 情報機器を用いて受信、発信する情報や、外国語によるコミュニケーションも、その大部分は、ことばを相互理解の手段としています。ことばは、人と人とを結ぶ道具であるとともに、ときに自分を守る道具になり、ときには人を攻撃する武器にもなります。大学で、大いに教師と話し合い、友達同士語り合い、また授業や読書から多くを学んで、日々、ことばを磨くことが大切です。
 大正七年に「赤い鳥」に発表された西条八十の「かなりや」の、二番の歌詞は次のようです。

  唄を忘れた金糸雀は、
  背戸の小藪に埋けましょか
  いえ、いえ、それはなりませぬ

唄を忘れたかなりやとは、詩人としての希望を失いかけていた八十自身のことでした。翌年この詩に成田為三による曲が付けられたとき、「背戸の小藪に埋けましょか」の箇所が、「背戸の小藪に埋めましょか」に替えられていました。さらに同じ年に出た詩集『砂金』では「いえ、いえ、それは」の箇所が、「いえ、いえ、それも」にかわっていました。詩人はそれほどことばづかいに敏感です。現在この曲の演奏を聴くと、歌手によって採用した歌詞が異なっています。
 たぶん大正期の半ばには、「埋ける」ということばは、多少古臭い表現になっていたのでしょう。私の少年時代、明治生まれだった父は、『十姉妹が死んだのなら、庭の隅に埋けてやれ」という言いかたをしました。決して「埋めてやれ」ではありませんでした。この二つの表現はどこが違うでしょう。「埋ける」を『広辞苑』などの辞書で引くと、「生かす。死ぬはずのものの命を保たせる」が原義で、日本では約千年前から使っていたことばだとわかります。「炭を埋ける」のも、「芋や栗を埋ける」のも、「花をいける」のも、「魚の生け簀」も、同じことばから出ています。だから「埋ける」のは対象への愛情が底にあるわけで、「埋める」のと同じではありませんでした。皆さんは「埋ける」ということばを使いますか。方言の中ではまだ生きているでしょうか。文豪幸田露伴の孫、作家幸田文の娘である青木玉さんの随筆に、「火鉢の炭は、夕ご飯の始まる前に、佐倉の切り炭を埋け直して灰でしっかり囲う」とありました。なつかしい響きです。
 「埋ける」ということばが滅びれば、「埋ける」ということばに表れた心もちも滅びます。ことば一つ、と言わないで、自分のことばの生活を見つめ直してみてください。そうして人は大人になってゆくのだと、私は思っています。実り多い学生生活を祈ります。



 



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