留学生の眼(76)




帰国前に日本を振り返って

文・ 劉   紅(Liu Hong)
  原爆放射能医学研究所
  分子細胞遺伝研究分野br>
 時間は飛ぶように過ぎていきます。
今、私は広島大学で研究生活を過ごした一年が終わりましたので、日本での素晴らしい生活を私の記憶に消えないように心に刻み付けて、中国への帰国準備をしながらこの文章を書いています。一年前、中国政府が外国での研究活動を支援する話を聞いたとき、私は躊躇なしに日本を選びました。多数の他の留学生と同様に、私は以前に一年以上日本で過ごしたことがあります。この美しい安全な島国を愛し始めて、私は多くの素晴らしいことを得ることができました。

 まず医科大学で働く医者として、日本と私の国の間との医学の教育の差異に興味を持ちました。日本の方が医学教育の良いシステムを持っているということに気付きました。中国では、大学にもよりますが、医学部の卒業は五〜八年を要します。卒業の後で、医学士の称号が与えられます。日本と同様に医学部を卒業すると国家試験があります。普通に勉強していればそれ程難しくはありません。試験に合格すると医師の免状がいただけるわけです。更に勉強しようと思うと、三年間修士課程に入ります。学士を持つ人に受験の資格がありますが、結構難しい試験で以前は三人の内一人が合格する割合でした。最近は政策が変わり、少し広い門となり約半分の人が合格します。最も難しいものは、博士課程(さらに三年を要する)で、修士の学位を持つ三人の内わずか一人がその課程に入ることができます。博士課程に入ることは非常に難しく、入学試験の点数に最も依存していますので、私の国の多くの医学生は、先生の話や教科書を丸暗記しなければなりません。一方、日本の学生は、知識をどのように働かせるかに注意を払えば良いのです。従って、研究における能力は中国よりもより高いと思います。
私がこの大地に足を踏み入れた後で、日本の勤労精神が高いことに深く心を動かされました。研究者は朝から晩まで、週末なし、または、休日まで働くという事を知りました。公園や店では研究者を見つけることはできません。多分このような事により日本が非常に速く発展したわけだと思いました。

 日本で研究していた時にびっくりしたことには、先進国でありながら、日本の伝統文化が、例えば相撲や茶の湯のようなものが現代にも多く残っていることでした。その反面、多くの若い女性が冬の寒い時でも短いスカートをはいていること、多くの高校生が茶髪や金髪に染め、更にピアスをし、鼻にまでリングを付け、その手には何時でも携帯電話を持っている事は全く理解できません。私の目にはアジア人の顔には黒髪が美しく、そのような事は必要ありません。(と書きましたが、今回帰国して驚いたことには、中国の若者にもほんの僅かですが茶髪がいました。若者の流行は、どの国でも変わらないとつくづく感じました。)

 来日して、日本料理は当然ですが、インド、韓国、イタリア、フランス料理等を食べることができました。なんと言っても一番大好きなのは中華料理ですが、最近日本料理も大変好きになりました。材料が新鮮で、海産物が大好きです。日本に来た当初はワサビは食べることができませんでしたが、今では大好物です。

 今でも、私は日本をすごく良く知っているとは言えませんが、再び来日する機会があったことで、日本に対して私の理解を深める機会を持てたことは幸運です。広島での一年で、多くの親切な人々に出会いました。皆さんの親切な教えや援助なしでは、私は一年以内に博士(医学)号を貰えなかったでしょう。私の経歴のうち広島大学での研究は、私に強い翼や堅い根を与えてくれました。これらのことが中国に帰ったとき、私の大きな助けになるでしょう。私は日本と中国間の友情の成長に対し心を込めて祈り、両国間の交流に貢献したいと思います。私は日本で経験したものの多くの良い記憶を常に思い出すことでしょう。

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 この文章を書いて中国に帰国したのが昨年の八月ですが、嬉しいことに中国政府から、更にもう一年日本で研究することが許され、平成十一年十一月に三度目の来日をすることができました。
 本文は、昨年の八月の帰国前に書いたものですが、考え方は全く変わりませんので、少し文章を書き加えてみました。



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