工 学 部


教養ある技術者になって欲しい

工学部評議員 佐々木 博司


 工学部入学おめでとうございます。これまでの学生諸君の大変な努力、およびご家族からの経済的・精神的援助のたまものと思います。入学できたことの喜びを十分に噛みしめると共に、周囲への感謝の念を忘れないようにして下さい。
 大学生活はすべてバラ色というわけにはいきません。大学は自発的に学ぶ場所ですから、高校までと違って大学が手取り足取り親切に面倒を見てくれません。分からないことは、自分から積極的に尋ねて対処する態度が必要です。大部分の学生はしっかり勉強し、無事卒業していくのですが、約一五%程度の人はドロップアウトしてしまいます。折角入学したにもかかわらず、学業が続けられない学生のことが、私の脳裏から離れません。
 希望に燃えて入学して一カ月はあっという間に過ぎてしまい、その後いわゆる五月病になる学生がでてきます。入学後の生活環境の激的な変化などの要因もあるでしょうが、最大の原因は、激しい受験競争の下で大学への合格自体が目的となってしまい、入学後の目標を持たないことにあります。何を勉強するかという目的設定がないままに学生生活を送り、ついには虚脱状態になってしまいます。講義にも出なくなり、留年、はては退学ということになります。本人にとっては無駄な人生を歩んだことになり、社会にとっては人材育成策が十分に機能しないという結果になります。このような悲惨なことにならないようにするにはどうしたらよいでしょうか?
 本来、大学は勉強するための場所です。当然、工学部に入学した大多数の人は将来高度専門技術者に、また一部の人は研究者として身を立てようと志していると思います。これからの四年間、大学で何を学ぶかを真剣に考えて、実りある学生生活を送って下さるよう切望します。熟慮の上、適性がないと悟ったら、転学部、転類などの制度を利用し、生き生きと勉強できる環境を自ら探索することも必要です。  日本はエネルギー資源も鉱物資源もほとんどなく、一億二千万人という人口が唯一の資源です。したがって、自給自足出来るはずもなく、資源を輸入・加工して高度な工業製品を製作し、それを輸出して現在の生活を維持している訳です。貿易が活発に行われるためには、平和を維持することが大前提になることはいうまでもありません。  つまり、日本の生きる道は、競争力のある高度な工業製品(ソフトウェアも含む)を開発、製作し続けることであり、工学部の卒業生の善し悪しが日本の将来を左右すると言っても過言ではありません。各自、それぞれの専門分野の基礎力を十分養成して立派な技術者になると共に、近年のシステム化に対応して他分野の人たちとも積極的に交流できる精神構造になって欲しいと思います。
 さて、今までの日本は幸いにして競争力のある製品を次々に開発・販売して今日の繁栄を築いてきました。しかし、日本製のモノは世界中にあふれています(外国へ行けば実感できます)が、日本人の顔が見えないと言われています。つまり、日本人は個人としても、グループとしても明確な主張をしませんが、このことは日本人は自分の意見を持たない人種と思われているのです。
 日本人が国際社会の一員として受け入れられるには、まず自分の意見を明確に述べることが必要ですが、意見を持たない人にはそれは出来ません。そのためには、漠とした言葉ですが、「教養ある技術者」となって欲しいと思います。文化の素養の違う国々に出かけて、対等に議論するには生半可な知識・教養では太刀打ちできません。また、科学技術の健全な発展のためにも、研究・開発に将来携わる人たちが教養人であることが肝要です。
 これからの大学生活において、しっかり勉強すると共に、良い友達をたくさん作り、人間としての幅を広げるよう努力してもらうことを切に望みます。


 

実りのある大学生活を

工学研究科博士課程前期 町田 浩紀


 新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます。この四月から晴れて広島大学の大学生として新しい一歩を踏み出すわけですが、この四年間というのは皆さんの人生にとって特殊な四年間になることと思います。高校生活のように規律、時間等に縛られるわけでもなく、社会人として非常に大きな自己責任を負わされるわけでもなく、そのほとんどを自分の自由な時間に充てることができ、それをどう過ごすのかは皆さんの判断に委ねられることになるでしょう。多くの人々が生活する社会の中で中途半端な存在とも言えるこのモラトリアム的四年間が貴重な四年間となるか、無駄な四年間になるのかは皆さんの過ごし方次第になると言ってもいいでしょう。広島大学での四年間が皆さんにとって大きな意味を持つ非常に実りのある大学生活になることを願います。

 



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