二〇〇〇年、ミレニアムの正月は、例年になく格別の思いで迎えることができた。ほかでもない、「今年こそ完成させよう」と正月の度に思い続けながら、なかなか完成しなかったアルトゥール・カウフマン博士の大著『責任原理─刑法的・法哲学的研究─』の出版が新年早々に実現できる運びとなったからである。十六年間にわたる訳業との格闘についに終止符を打てるかと思うと、苦労した日々の様々な思いが脳裏をよぎった。
本書は、ドイツが誇る、刑法学および法哲学の碩学アルトゥール・カウフマン博士の代表作(初版一九六一年、第二版一九七六年)の完訳である(底本は第二版)。人は何故犯罪を犯し、国家は何故犯罪者に刑罰を科すのか。そして、刑罰の前提として何故「責任」に固執しなければならないのか。このようなテーマを追求している読者には、本書は強力なインパクトを与えるものと確信する。カウフマン博士は、存在論哲学の立場から、人間存在の本質にまで遡り、そこから法存在論を基調として責任および責任原理の本質に迫り、過失責任をはじめ、客観的処罰条件、量刑、刑罰、および行刑等の具体的問題に言及して、「法の歴史性」をも考慮されながら、「責任なければ刑罰なし(nulla poena sine culpa)」という標語で示される責任原理・責任主義の意義および基礎づけを明快かつ重厚に説かれる。その博識と論理力には圧倒される。読者は、本書の中に、胸を打つ殊玉の言葉を数多く発見することであろう。
幸いにも本訳書は、刊行以来、多くの反響を呼び、団藤重光博士(東大名誉教授・元最高裁判事)をはじめ、多数の刑法および法哲学の学者から丁重な感謝の便りをいただいた。病床にあられるカウフマン博士も、とても喜んで下さった。私としては、今後二十一世紀に本書が若人に(できれば専門の枠を越えて)大いに読み継がれていくことを念じている。なぜなら、責任と刑罰の問題は、人間存在の本質に関わる永遠のテーマだからである。