国立大学の法人化をめぐる議論によせて 



文・ 岡 本 敏 一(Okamoto, Toshikazu)
生物生産学部教授

 昨年の暮れからEメールで「大学改革情報」を出していることから、この特集への寄稿の依頼を受けました。メール情報発信を決意した動機は「独法化」問題です。本来行政の実施機能を独立させ、財政負担の軽減を図る「独法化」は大学には及ばないと思っていましたし、独法化の通則法案を見ても国立大学に適応されるとはとても思えませんでした。しかし、「ジュリスト」の藤田宙靖論文を見せられた時は、国立大学の独法化はやむを得ないことと思ってしまいました。ところが、インターネット好きの同僚から東大教職組の「藤田論文批判」を見せられ、私の読みの浅さを痛感するとともに、ネット上で様々な情報が飛び交っていることを知りました。  

 



一 メール情報発信

 本学でも評議会で独法化への対応が行われ始め、筆者の学部でも十月にこの問題での学習会が副学長も来られて行われ、独法化に関する情報を整理する必要に迫られてきました。このような中で、本学に多数の情報をお持ちの方がいらっしゃる反面、多くの方はほとんどそれをお持ちでないことがわかりました。私の経験から、物事が動くときその当事者間に情報の格差があると、あとで必ずトラブルが発生します。そこで、ネット好きの同僚から情報を提供してもらい、「研究者総覧」からメールアドレスを読みとり、整理して発信することにしました。現在(四月二十五日)までに三十四件発信しました。発信にあたって、受信を断られた方は十八名、着信不能の方が二十数名いらっしゃいますが、その他の方々には受け取って頂いています。

筆者が在外研究で滞在したミュンヘン大学獣医学部家畜解剖学教室の建物。ドイツの大学は公立で授業料はない。



二 独法化を考える

 この「情報発信」を介して、初めてお目(耳)にかかる数人の方と知り合いました。その中で、独法化に対する私のスタンスをお尋ねになる方がいらっしゃいました。この機会に、私個人の考えを述べさせていただきます。
 私は、大学の設置形態を変えることに反対はしません。国立大学が文部省に行政的に支配されるのではなく、大学の自主性のもとで、研究者の適正な競争と、学生の立場に立った教育の充実を行う方向での法人化であれば、検討に値すると思っています。しかし、現在、政府・与党やその周辺から出されている国立大学の法人化案や考え方は、「大学」が成り立たないもので反対です。
 「大学」とは何か。三十年間の大学教員としての経験のみで、教育学の素養のない私の考えですが、「大学とは人間の過去と未来を分析、洞察し、知識技術を後世に伝えるために存在する組織」と考えています。近年、日本の大学(人)は、私を含めて、様々な事象の分析はしても、未来への洞察がなされていないように思われます。このことが、社会をして国立大学の設置形態の変更を迫らせているのかもしれません。
 それにしても、今考えられている国立大学の法人化案は、いずれも大学に主体性をもたせないか、非常に制限しています。すなわち、これらの案により法人化された国立大学は、まず五年を単位とする中期目標が設定され、それを実現する中期計画の提出が求められ、認可を受けなければなりません。中期目標期間終了時には、文部科学省と総務省の評価を受け、場合によっては大学・学部が改廃されます。その財務運営は企業会計原則によりますが、損益がニュートラルになるように構築しなければなりません。このようにがんじがらめに縛られた「法人化」を適用された例が、果たして諸外国にあるのでしょうか。
 「大学」を成り立たせる必要条件は、教員と学生です。学生は四年から九年の教育を受ける存在ですが、教員は大学の教育と研究を進める存在です。従って、大学の主体性は教員の一人ひとりの主体によると考えます。さらに、大学が他の組織・機関と異なるのは、学生の存在です。大学は学生に素養や知識を学んでもらい、人間性を養ってもらう場であることが、大学の社会における存在意義であると考えます。その素養や知識は系統立ったものであり、それを学んだ学生はレベルはどうであれ、専門知識を持っている者として社会に受け入れてもらえるようにする場が大学であると考えています。学生が学ぶ系統的な素養や知識は、高度な専門性を持った者すなわち研究者である教員がコース・学科・類・学部などに組織されて、教えられるものと考えます。
 大学が主体性をもてないと言うことは、学部、学科などが主体性をもてないことであり、教員の一人ひとりが主体性をもつことができない、すなわち研究が自由にできないということになります。
 私が、現在出されている国立大学の法人化案に反対しているもう一つの理由は、前のこととつながりますが、このような設置形態と制度で学生の学習環境のどこが良くなるか、何が良くなるかが分からないことです。組織制度を変える時は、今まで何が悪くて変えたらどこが良くなるのかの説明が、当該の組織や制度に関わる人だけではなく、特に国立であれば国民一般になされなければなりません。これが提案者の側から全くありませんし、私のお送りしたメール通信にあるように、多くの反対意見もこの点に集約されると思っています。

筆者がお世話になった教室主任教授(中央の立っている方)の誕生パーティーの一コマ。彼は、10名の教員から運転手・掃除のおばさんまでの人事、建物の維持管理、トイレットペーパーから研究・教育機器に至るまで裁量する。





三 終わりに

 多方面の方々が、現在検討されている国立大学の法人化案は国民にとっていかに不利益であるか、この発案が大学教育とはいかに異なった所(行政改革や定員削減など)から出ているかを説明されてきたため、政府・与党も結論を軽々には出せない状況になっていると思います。しかし、文部省は平成十二年度の早い時期に、この問題の結論を出すとしています。この文が皆様の前に出た時は、「法人化した中で教員がいかに主体性を保ち、教育目標をかかげることができるか」を考えなければならなくなっているかも知れません。前述のように私としては考えにくいことですが、大学が存続し、私がその教員である以上は、何とか知恵を絞らねばなりません。私個人ではとても力量の及ぶところではありませんので、できるだけこのメール情報を出し続け、皆様からのご意見をうかがい、広島大学、そして生物生産学部を発展させたいと考えています。

広大ラグビー部創部五十周年記念OB戦にて(縞のジャージーが筆者)


 プロフィール

(おかもと・としかず)
☆一九六九年 北海道大学
 大学院獣医学研究科修士課程修了
☆一九九六年 広島大学生物生産学部教授
☆専門 家畜解剖学




 
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