夢を構築し就職活動を! 



文・ 久保田  清(Kubota, Kiyoshi)
生物生産学部教授

 情勢判断を誤らない将来展望をし、当面の「夢」を構築して、就職活動に向かって欲しいです。就職難といっても就職先が皆無ではないです。農水畜産の食糧一次生産地など人手不足の職場があります。大学がその時代要請の定員増を積み重ねてきました。若者も大学に入り卒業さえすれば就職できると思ってきました。就職難は、十分なる将来展望が困難だったことによっています。

 



学生就職センターにて(筆者右)

一.繰り返される就職難

 広島市が原爆で廃墟になり就職難になった際、公的機関が市街地整備員さんを雇用していました。公的機関は、不景気時に公務員、教員の採用削減をしないとともに、景気回復まで過疎地の生産協力隊、介護協力隊を採用するなどして欲しいと思います。新卒者も十分なる将来展望をしないで専門分野を選択したのですから、専門分野に近いパート的な職種を足場にして「夢」に向かって更なる錬磨をして欲しいと思います。
 戦後、石炭産業、重鉄鋼産業等が多くの労働者を受け入れました。石炭産業が石油産業に転換したときに、局地的、職種的に就職難が発生しました。石油コンビナートが自動化して人手が不要になりましたが、関連する造船産業、自動車産業、石油化学産業等が新しい職場を作りました。結果的に、石炭産業地帯の方々が自動車製造技能者等になられました。技術革新時代になり、就職時に選んだ職種で一生働ける人は稀となりました。基礎力を強くして臨機応変に職種を転換可能な技術の錬磨が必要です。
 石油を輸入して石油化学製品の輸出等をして高度成長期となり所得倍増となりました。しばらくして、石油化学製品製造等の技術輸出時代になり、開発途上国が新興工業国となったため、構造不況となり就職難になりました。大手造船会社が工場閉鎖をし、大手石油化学会社などもほとんど採用しなくなり、自動車産業がロボット化でリストラする時代になりました。石油化学会社等は高度化技術開発で立ち直りました。現在役立っている最新の技術は十年位先には技術輸出され、次なる高度化技術が必要になります。常々十年先を将来展望した錬磨が必要です。
 自動車、電子機器部品産業等が高度化技術を構築して製品を輸出し、円高になりました。税金対策等で利益が過剰設備投資とか土地投資に向けられました。円高で農水畜産の食糧一次生産業の方々が苦しくなり、人件費競争等で困った工場が海外流出を始めました。設備投資も過剰になりました。結果的に、バブル崩壊が起こり、左図のように不況の繰り返しが起こり、現在の就職難に突入しました。



二.新職場構築の提案

 目先的な増益にひた走りしないで、外形標準的な税金支払いをして将来リストラに連なる過剰設備投資をしないで新職場の構築をして欲しいと思います。公的機関も維持に困るような建設をしないで、省庁間、国立と私立大学の連携等を希望します。現在の就職難の解消方法は、「新職場構築」か「人件費ベースダウン」かなどです。
 日本は、長年にわたって山野からの雨水と腐葉成分を田畑に蓄え利用する稲畑を中心とした「自然保護と合体した生産体制を構築」してきています。廃棄物が飼料化、肥料化され、排水が小川で適度に浄化され適度に干潟が形成され、望ましい沿岸漁業が構築されていました。現在は、飽食、簡便化、高学歴化等の豊かさが幸せだと考えて、食糧、石油等を大量輸入して、大量の廃棄物を出し、廃棄物処理にも多大なエネルギーを消費し、自然環境を破壊しています。農水畜産の一次生産地が経済格差を受けて就職難を過大化させています。農水産の一次生産地に食品工業等の製造業の二次産業をドッキングし、必要な三次産業を付設させてコンビナート化させた多角的リサイクル産業システムを構築する「新職場構築」がよいのではと思います。

食品製造工場見学(食資源機能学コース3年生)



三.大学改革での責務

 今後の大学改革で、農水畜産の一次生産地で生産活動する者への奨学金付きの大学院社会人コース設置などが望まれます。また、教育学部に対しては、少子化に向けた出口問題を考えないで入学させてきている責任をとるべきと思います。農水畜産の一次生産地とか僻地の介護施設等に向けたユーターン希望者がでれば、二十年働けば育英会の奨学金を返還不要にするとかして欲しいと思います。
 上記のように、就職難の歴史は繰り返されます。十年位に一度は方向転換があると思い、「将来展望」した「夢」の構築が必要です。ますますの国際化、情報高度化、自然環境破壊、高齢化等々の情勢変化を想定するとよいと思います。大学は「将来の出口問題」を十分に考えて、学部等の再構築とか博士課程後期の定員増などの改革をするのが一番の責務と思います。

 プロフィール

(くぼた・きよし)
☆一九三八年 広島市生まれ
☆一九六十年 広島大学工学部卒業
☆一九六十年 日本ゴム(株)研究所
☆一九六二年 名古屋大学大学院工学研究科
☆一九六七年 名古屋大学工学助手
☆一九七四年 広島大学水畜産学部助教授
☆一九八一年 広島大学生物生産学部教授
☆専門 食品工学




 
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