開かれた学問(81)

 がんの遺伝学 

家族性腫瘍が明らかにしたこと
文・ 松 浦 伸 也(Matsuura,Shinya)
原爆放射能医学研究所助教授

 がんが遺伝子の病気であることがわかってきました。最近、発がんのメカニズムとして染色体不安定性という概念が注目されています。本稿では、染色体不安定性を特徴とする二つの家族性腫瘍の研究を紹介して、細胞がどのように染色体を守っているかについて解説します。

 



がんと遺伝

 私たちの体は六十兆個にも及ぶ細胞から構成されており、それぞれの細胞は周囲の組織と調和を保って整然と分裂・増殖を続けています。ところが、ある一部の細胞が突然暴走して無制限に増殖し、やがて人体に致命的な結果をもたらすことがあります。これが現在の死亡原因一位の「がん」です。それではどうして細胞は暴走を始めるのでしょうか。
 一八〇〇年代にすでに同一家系内でがんが多発する「家族性腫瘍(遺伝性腫瘍)」の存在が知られ、がんと遺伝の関係が指摘されていました。一九八〇年頃になって、ある種のウイルスが持つ「がんを引き起こす遺伝子」とそっくりな遺伝子が人の細胞のなかにあることがわかり、がんが遺伝子の病気であることがはじめて明らかとなりました。その後、多くの家族性腫瘍のDNA解析から、がんの発生を抑える「がん抑制遺伝子」が分離されました。また、非家族性のがんでもこうした遺伝子に変異が見つかるようになり、遺伝するがんの研究成果が、遺伝しないがんの診断にも役立つことが明らかになりました。
 がん遺伝子、がん抑制遺伝子は、もともとは細胞の増殖に関係した大事な遺伝子なのですが、これに突然変異が生じると、細胞は増殖のコントロールができなくなりがん化が始まるわけです。こうした細胞のがん化および悪性化には複数の遺伝子が次々と変異することが必要です。


がん細胞と染色体不安定性

 がん細胞の染色体を顕微鏡で調べると、染色体の数がさまざまで、染色体の転座・欠失・増幅などの構造異常が多発した、いわゆる「染色体不安定性」の所見がしばしば観察されます。細胞には元来、染色体を安定に維持するための機構が備わっていますが、これに欠陥が生じると、染色体が不安定になり遺伝子が次々と変異して、がん化が促進されると考えられています。こうした染色体不安定性とよばれるがん細胞の性質が、発がんの新しいメカニズムとして注目されています。この機構を解明するうえで貴重なモデルになると考えられていた家族性腫瘍が、毛細血管拡張性運動失調症です。


毛細血管拡張性運動失調症

 一九二六年、Syllabaらは皮膚の毛細血管が拡張して失調性歩行する兄弟例を報告しました。一九四一年にはLouis-Barが同様の症例を報告して新症候群として確立し、毛細血管拡張性運動失調症という病名が付けられました。欧米では十万人の出生あたり一人の割合で発症し、わが国では約七十例の患者さんが知られています。患者さんは免疫不全症を合併し、白血病などのがんを若年で約二十%の高頻度で発症します。
 この病気がにわかに注目されるようになったのは一九七〇年代に入ってからで、患者由来の細胞が放射線感受性と染色体不安定性を示すことが発見されてからです。
 患者細胞は自然状態でも染色体に断裂や転座が起こりますが、電離放射線を照射するとさらに染色体異常が誘発されることが、多くの染色体研究から明らかにされました。
 一九八八年、米国のGattiらが原因遺伝子が十一番染色体上に存在することを報告し、その七年後の一九九五年に、イスラエルのShilohらが原因遺伝子ATMをクローニングすることに成功しました。
 単離されたATM遺伝子は蛋白キナーゼの構造を持つことから細胞内のシグナル伝達に関わることが予想されました。その後の研究から、ATMはDNAの傷を感知してがん抑制遺伝子p53をリン酸化することで細胞の増殖をコントロールしていることが明らかにされるなど、ATMの多様な細胞機能の調節役について重要な知見が数多く寄せられてきました。
 ところが、患者細胞は放射線感受性であることからATMはDNA修復にも関与すると考えられますが、どのようにDNAを修復しているのかそのメカニズムについては依然として全く不明のままでした。ATM機能の全容解明には、もう一つの手がかりが必要でした。


ナイミーヘン症候群

 オランダの東部、ドイツとの国境線近くに人口十万人の小さな町ナイミーヘンがあります。ここの大学病院の小児科医Weemaesは、小頭症と低身長を示す免疫不全症の兄弟の染色体検査で、毛細血管拡張性運動失調症とまったく同じ染色体不安定性の所見があることに気づきました。細胞に放射線を照射すると、やはり毛細血管拡張性運動失調症と同じような高い感受性を示しました。ところが、この兄弟には毛細血管拡張症も運動失調症もまったく認めませんでした。そこで、一九八一年に、この兄弟例を毛細血管拡張性運動失調症の臨床バリアント「ナイミーヘン症候群」として報告しました。その後同様な症例が、ポーランドを中心にヨーロッパ全土さらにはアメリカ、カナダで見いだされ、現在までに約七十例が知られています。患者さんは白血病や悪性リンパ腫などのがんを若年で発症するリスクが高く、その発症率は三十〜四十%にも達します。私たちは、Weemaes博士と共同でナイミーヘン症候群の研究を進めてきました。患者細胞は毛細血管拡張性運動失調症と同一の染色体不安定性と放射線感受性を示すことから、欠損している遺伝子はATMと同一の経路で働いていることが考えられます。
 まず、患者細胞に正常なヒト染色体を順次入れて、放射線の感受性の変化を調べることで、病気の遺伝子が八番染色体に存在することを明らかにしました。次に、患者家系のDNAを収集して、ポジショナルクローニングという染色体領域から遺伝子を捜し出す手法で原因遺伝子NBS1を同定しました。NBS1は酵母のDNA修復遺伝子Xrs2と一部そっくりな構造を持つことがわかりました。これらの成果は、一九九八年に日本(広島大)、アメリカ(ウイスコンシン大)、ドイツ(フンボルト大)でほぼ同時に発表されました。
 正常細胞に放射線を当ててDNAに傷をつけると、NBS1の蛋白はDNAの傷に集まって塊になることが確認されます。このことからもNBS1遺伝子はDNA修復遺伝子であることが支持されました。
 ごく最近、NBS1は放射線照射後にATMによってリン酸化されることが報告され、毛細血管拡張性運動失調症とナイミーヘン症候群の症状の類似性が分子レベルの連係で証明されました。NBS1を手がかりに、ATM機能の全容がようやく明らかにされつつあります。

アムステルダムから列車で約2時間のナイミーヘン駅

DNAの修復機構



染色体を守るメカニズム

 染色体DNAは、放射線などの外的な要因だけではなく活性酸素といった細胞内の因子によって絶えず傷を受けています。こうしたDNAの傷は、突然変異を蓄積して最終的にがん化の原因となります。これに対して生体はDNAの傷を修復して染色体を安定に保つ染色体安定化機構を進化の過程で備えてきました。
 DNAに傷が入ると、ATMがこれを感知して、がん抑制遺伝子p53とDNA修復遺伝子NBS1をリン酸化することが明らかになりました。リン酸化したp53は細胞周期の進行をいったん停止させ、その間にNBS1によってDNAが修復されることがわかりました。一方、DNAの傷が大きくて修復不能のときは、ATMはp53を介して細胞にアポトーシスと呼ばれる自爆死を引き起こして、がん化を防いでいることがわかりました。
 ATM、NBS1が欠損した二つの家族性腫瘍ではこうした経路が働かないため、DNAの傷が気づかれずに染色体の断裂や転座が高頻度に発生します。また修復不能な細胞がアポトーシスで除外できないために、がんを多発することがわかりました。


おわりに

 家族性腫瘍の原因遺伝子であるATMとNBS1を中心に、染色体安定化機構について紹介しました。これまで、突然変異を抑える役割としてDNA修復に注目が向けられてきましたが、実際はこうした修復機構は細胞周期制御やアポトーシスなど細胞機能と密接に連動して、協調してがんの発生を抑えていることが考えられます。また、非家族性のがんでも、こうした染色体安定化機構の破綻が発症に関与する可能性が考えられています。今後の研究の成果が待たれています。



 プロフィール

(まつうら・しんや)
☆一九六一年広島県生まれ
☆一九九〇年山口大学大学院医学研究科小児科学修了、医学博士
☆一九九三年ロンドン大学 Human Frontier Science Program 研究員
☆一九九五年 原爆放射能医学研究所放射線基礎研究分野助手
☆一九九九年 同助教授
☆専門:遺伝医学、人類遺伝学
 現在、NBS1ノックアウトマウスの研究とともに、染色体数の不安定性を特徴とする新しい家族性腫瘍のマッピングを進めている。
☆E-mail:shinya@hiroshima-u.ac.jp





 
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