超臨界流体の不思議 

-特別推進研究を進めるに当たって-


文・ 田 村 剛三郎(Tamura,Kozaburo)
総合科学部教授
 


一 はじめに

 超臨界流体が、ダイオキシン等の環境汚染物質を容易に分解するというので、いま脚光を浴びている。広島のある高圧機器メーカーの超臨界装置が、ベンチャー支援の対象になったという記事が新聞に出ていたり、また、別のメーカーは独自の超臨界装置を開発し、これが大いに販路を拡げ不況を乗り切る原動力となっているという話も聞く。このように、超臨界流体の有用性に着目した研究がますます盛んであることは大変に心強いことである。しかしながらここでは、役に立つ超臨界流体というイメージから離れて、少し違った角度からこの特異な物質を眺めてみたい。
 ちょうど昨年の今頃、筆者が研究代表者をつとめるプロジェクト「放射光を用いた超臨界金属流体の静的・動的構造の解明」が文部省科学研究費補助金「特別推進研究」に採択された。特別推進研究は、国際的に高い評価を得ている研究で、重点的に研究費を交付することによって格段の成果を期待するものとされ、極めて厳選された研究課題である。我々のプロジェクトは平成十五年度までの五年計画で進められる。ちょうど一年が経過したのを機会に、この紙面をお借りして、研究計画の概要を説明させていただきたい。広島大学で、このような研究が進められていることを少しでも多くの方に知っていただければ幸いである。


二 超臨界金属流体とSPring-8

 超臨界流体とは何か。水を例にとって考えれば分かるように、圧力を加えてゆくと沸点は上昇する。圧力釜でご飯がよく炊けるのは、この沸点上昇のおかげである。さらに圧力を上げると沸点は上昇し続けるが、ついには沸騰がみられなくなり、液体とも気体とも区別がはっきりしない超臨界流体とよばれる特異な状態が出現する。
 左図は、温度と圧力の平面上に固体、液体、気体の三相を表示したものである。液体と気体の境界線が途切れるところに臨界点があり、その向こう側に超臨界領域が広がる。ここで、矢印のように臨界点を迂回すると何が起こるかというと、実は、液体から気体へと体積を除々にしかも千倍以上も膨張させることが可能になる。このことは、平均の原子間距離を十倍以上拡げることに相当する。物質に圧力を加え体積を収縮させることはできても、一様に膨張させることは容易でない。体積膨張が可能であること、これが、超臨界流体の第一番目の特徴である。さらに超臨界領域では、言うなれば、液体であるべきか気体であるべきかというフラストレーションによって、恒常的に密度のゆらぎが存在する。そこではもはや、密度という平均量では状態を律しきれず、密度のゆらぎという平均量からのずれが重要になり、それが様々な物性を支配する。このことが、超臨界流体の第二番目の特徴である。
 我々が研究対象としているのは、水銀などの金属流体である。水銀が面白いのは、伝導電子が深く関わっている点にある。はじめは電気がよく流れるが、体積膨張にともなって電気伝導度が何桁も減少し、金属から絶縁体への転移を起こすという際立った特徴がみられる。キラキラと玉になって輝く水銀が、大きく変貌して、赤や緑に色づき、最後には無色透明になる。このとき、原子の並び方がどのように変わるのか、また、原子がどのように離合集散するのか、さらに、これらが電子物性とどのように関係するか、というミクロ構造に秘められた謎を解き明かすことは、研究者の長年の夢であった。
 しかしながら、流体水銀の構造研究はこれまで容易ではなかった。1500℃、1500気圧を超える高い温度と圧力が必要であることに加え、実験にガス圧を用いるので国の特別認可が必要となる。これらの困難を乗り越え、このほど兵庫県西播磨にある放射光施設SPring-8に、我々のプロジェクトを中心として、超臨界金属流体の構造研究が可能な世界初のビームラインを完成させることができた。SPring-8は、現在、世界に三基しかない第三世代大型放射光施設の一つで、その中で最大規模を誇る(写真)。

相図と臨界定数

兵庫県西播磨、大型放射光施設SPring-8の全景
周長約1.4Km,1997年10月より稼働

 


三 研究の概要 

 本研究は、我々の研究室で独自に開発してきた実験技術をベースとし、強力X線源としてSPring-8の放射光を利用することにより、水銀やアルカリ金属などの超臨界金属流体の静的・動的構造を高い精度で決定することを目的とする。X線回折測定により短・中距離構造について、X線小角散乱測定により密度のゆらぎ等の長距離構造について、さらにX線非弾性散乱の測定から超臨界領域での動的構造、すなわち原子分子の離合集散の様相を明らかにする。すでに述べたように、超臨界流体は、液体でもなく気体でもない特異な中間状態にある。そこでは、密度という平均量で状態を律しきれず、むしろ密度のゆらぎのような平均量からのずれが重要になる。本研究は、電子的性質の変化が顕著に現れる超臨界金属流体を取り上げ、メゾスコピックスケールでの構造パラメータ、例えば密度ゆらぎの相関長と電子物性を詳細に対比させることにより、「超臨界金属流体を新しい物質相として捉える新たな視点」を見い出そうとするものである。強力で、しかもレーザーのように優れた指向性をもつ放射光を利用することによって本研究の目的が初めて達成できるものと期待している。
 このプロジェクトは走り出してまだ間もないが、これまで得ることができなかった超臨界金属流体のミクロ構造についての新しい知見が次々と得られている。得られた成果の学問的意義は大きく、超臨界水や炭酸ガスの構造研究を促し、なぜ超臨界水が有害物質を効率よく分解するのかといった実用的な問題にもミクロな立場から明確な解答を与えることができるようになるであろう。新しい情報を、広島大学から世界に向けて発信できることは大変喜ばしいことである。


四 おわりに

 この特別推進研究プロジェクトには、総合科学部の乾雅祝助教授、星野公三教授、下條冬樹助手、SPring-8の内海渉、舟越賢一両博士に加わっていただいている。特に、星野教授と下條助手には第一原理分子動力学シミュレーションを用いた理論的研究を担当していただいている。また、放射光実験に関しては、SPring-8の方々から言葉に尽くせないサポートを受けている。この場を借りてお礼を申し上げたい。つい先日も、我々のプロジェクトが、今年度下半期から新たに設けられることになったSPring-8の特定利用課題に選ばれたとのうれしい知らせがあった。これによってプロジェクトが非常に進めやすくなる。最後に、一々お名前は出さないが、広島大学の事務官の方々には今回のことで大変お世話になった。心からお礼を申し上げる。

 プロフィール

(たむら・こうざぶろう)
☆一九四四年十月二十日生まれ
☆一九六七年京都大学理学部物理学科卒業、同理学研究科博士課程修了、京都大学理学部助手、広島大学総合科学部助教授を経て、一九九○年より同教授
☆専門:物理学




 
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