2000字の世界(38)

空とともに
-パラグライダーと私-

文・ 木 村 佳 代(Kimura, Kayo)
教育学部3年

 

 「空には道がない。だから自分でつくるんだよ。」
その言葉に胸が高鳴った。三次元に放たれる緊張感がぴりぴりと全身を覆う。空には一定の法則があって、うまく上昇気流を見つけて旋回しないと上に上がれない。時には下降気流にはまってどんどん高度をロスすることもある。サーマルと呼ばれる上昇気流の中にいても、そのコアから弾き出され、降下し、降り立った地上で恨めしそうに空を見上げることだってある。
 見えるものと見えないもの。だけどそこにあるもの。サーマルの発生源を探し出し、風を読み、行動することにパラグライダーの醍醐味がある。空には道がない。だから地形、日照、風、雲・・・ちょっとした寒暖の差から生じる上昇気流のきっかけを見つけ、かつ、いかに効率よくコースを取って行動するかが問われる。そしてそれを分かる人だけが、上昇気流の終わるところまで上げきり(+千メートルだったり、+二千メートルだったり)、クロスカントリーに挑戦(広島から岡山まで行った人も。約六十キロメートル)することができる。
 子どものころから私はスポーツが好きだった。当時は単純にスポーツすると楽しいからではなく、どちらかというとスポットライトを浴びる快感によって続けていたように思う。中学生、高校生と成長するにしたがって身体能力の差はほとんどなくなり、自分がいつまでもスポットライトを浴びられないことを否が応でも認識し出すと、けっこうあっさりとその舞台から下りた。優越感だけがスポーツの楽しさを支えていたからだ。
 ところが、地元でパラグライダーのエリアができる話が持ち上がったのと同時期に、偶然にも大学のパラグライダー勧誘のチラシに遭遇する機会に巡り会った。そしてそのままずるずると入部してしまった。気がついたら中毒。「やられた!」と何度思ったことか。そして考えた。なんでこんなにはまっているのだろう。
 自分の技術なんてまだまだオタマジャクシに足が生えかけたぐらいのものだ。周りには到底及ばない人たちがいる。そう、雲底(雲の底部)につけ、クロカンに出かける者。そんなスポットライトを浴びる人の後ろで、私は村人その一、もしかしたら役名もないただの石ころかもしれない。だけど、さらに周りを見渡してみると、六十をむかえるおばちゃんや中年のおっちゃんたちが、あ〜だ、こ〜だとフライトの話に夢中だ。そして、最後はいつもすがすがしい顔で「今日も無事に飛べたなんて幸せ」だと言う。私は、はっと気づいた。いくら高く上がっても、遠くに行っても、無事に地上に帰ってこなければ駄目なんだ。みんなそれぞれにフライトの目標を持って努力しているけれど、一番大切なのは地上に無事に降りてくることなんだ。
 世界にはトップフライヤーと呼ばれる人がいて、すごいサーマルにあたって乱気流の中に飲み込まれ、二度と地上に戻ることはなかった、という話を聞いたことがある。いくらトップフライヤーだって、それではかっこ悪い。脚光を浴びる人もすごいけど、浴びなくたって十分かっこいい人もたくさんいる。あのおばちゃんたちだ。楽しみ方を知っているってすごくかっこいい。そしてそれを知るためには生きていなくてはならない。だから生きているって素晴らしい。私は俄然やる気がわいてきた。生きているかぎり、私は飛びつづけることができるからだ。思えば、あれが私の着火剤だったのだろう。
 私にとってパラグライダーは人生だ。空にいるとき浮き沈みがあるように、人生というものにもきっとそれがあるだろう。空で上がりたいと思ったときコースの決め方が重要なように、人生というものにもきっと選ぶべき道があるだろう。そして空から無事に地上へ帰らなければならないように、人生というものも途中でやめずに最後まで歩んでゆかねばならないだろう。たかが一個の石ころでもダイヤモンドになる可能性だってあるかもしれない。なんて懲りずに野心を燃やしながら私はこれからも空を、人生を楽しく飛んでいきたい。


神の倉山(広島市安佐北区白木町)から
 




広大フォーラム32期4号 目次に戻る