五十年史編集室だより(10) 


 編纂事業の進捗状況について 

 広島大学五十年史編集室が五か年計画で発足したのは平成十年のことです。以来、当編集室では、これまで関係各方面に対して編纂事業の広報活動に努めるとともに、資料提供を依頼して資料の収集につとめて参りました。
 今回の編集室だよりでは、編纂事業の期間も当初計画の半ばを過ぎたこともあり、編集室業務の概要と編纂事業の進捗状況とを読者の皆様にお知らせすることにいたします。

業務の概要

 編集室の業務として、『広島大学五十年史』(以下『五十年史』)の第一冊目に当たる写真集『広島大学の50年』を昨年十一月の記念式典の際に五十年史編集専門委員会のもとで刊行したことは、既にご存じの方も多いことでしょう。この写真集の刊行をもって編集室の業務は終了したと誤解されている方もおられるようですが、『五十年史』の通史・資料編の編纂を完了するまで編集室は業務を継続しております。
 編集室ではこの編纂作業の一環として、研究会の開催、紀要の刊行などの各種の業務もこれまで行ってきました。研究会はこれまで十回を数え、十一月二十七日には頼實正弘第六代学長をお招きして御講演いただいたばかりです。今年度は年度末にもう一回開催の予定です。また編集室業務の成果をまとめるため、編集室の発足初年度より『広島大学史紀要』を年度ごとに刊行し、研究会の講演内容や論文、資料などを公表しています。これまでに二号を刊行し、今年度も第三号を刊行する予定です。広報活動としてはこの「五十年史編集室だより」を隔号で掲載しているほか、ホームページを開設して適宜情報を更新しております。


編纂事業の運営組織及び審議事項
 編集室は五十年史編集専門委員会のもとにおかれている組織です。編纂事業の重要事項はこの編集専門委員会において決定されています。専門委員は各部局等や事務局各部の推薦者及び委員会が認めた者の二十二名で構成されています。このうち七名の委員で幹事会を編成し、編集室の運営について審議しています。これまでに編集専門委員会を五回、幹事会を十八回開催し、編纂事業を進めてきました。今年七月の編集専門委員会では『五十年史』通史編及び資料編について、二分冊とすることを決定し、構成案をまとめました。以下にその要旨を示します。


通史編の編集方針〈要旨〉
(一) 広島大学五十年の歴史について、近年の大学史研究の成果をふまえた新たな知見に基づいた記述を行う。
(二) 広島大学の歴史を総合的・体系的に叙述し、教育史及び地方史としても一級の水準のものとする。
(三) 広島大学及び前身校が人材の育成と学術の進展において果たした役割について、国家政策とのかかわりからと地域からの要求や期待とのかかわりから叙述する。
(四) 広島大学の全学的事項を記述し、制度の沿革、研究・教育の変遷、管理・運営上の諸事項、大学構成員の生活を取り扱う。
(五) 広島大学の歴史を振り返ることによって、大学の現状について認識を深め、将来の新しい大学像の探求にも役立つものを目指す。
〔構成の概要〕
 通史編の全体構成を通史部分と特別論文(以下、特論)部分との大きく二部にわけることとする。
 特論部分は、広島大学の歴史を特定のテーマに基づいて明らかにするものである。通史部分が国家・地域・社会の歩みといった時代的背景と関連づけながら、同時代史の中での広島大学について重点を置くのに対し、特論部分は、特定のテーマごとに五十年を通観できるものにする。広島大学における学術研究の発展を特論の重要な主題とし、広島大学の特徴的な事項をテーマとして取り上げる。
 この通史・特論の二部が車の両輪としての役割を果たすことにより、広島大学の歴史を総体的・立体的に認識することが可能となる。



資料編の編集方針〈要旨〉
(一) 通史編の執筆作業を前提とした基礎資料を収録する。
(二) 主要な学内規程等については、制定時の全文と改廃情報を収録する。
(三) 制度史的資料はもとより、社会史的資料についても適宜収録する。
(四) 『広島大学二十五年史』収録資料のうち重要な資料については再録を検討する。
〔構成の概要案〕
I.組織に関する資料
 組織・運営、事務組織、人事、教務、厚生補導等、会計、設置申請書 など
II.特定の事項に関する資料
 大学改革及び統合移転、式典・式辞、国際交流・産学協同、地域社会と広島大学 など
III.一覧・統計・図表
IV.非制度的資料
V.年表
 以上の他、通史編執筆過程での追加資料や今後の資料収集で発見した資料などを適宜盛り込む。


 この方針のもと、資料収集の継続と目次構成の具体化に努めております。今後の編纂事業の進展と『五十年史』の発刊に御期待ください。
 なお、『五十年史』を充実した内容にするためには、新たな史資料の発掘が不可欠である。本学の構成員・関係者の皆様には、積極的な御協力をお願い申し上げます。広島大学及び前身校に関する史資料をお持ちでしたら、是非とも当編集室へ情報をお寄せください。



 大学史の散歩道 

 広島師範学校の朝会のひとこま(昭和12年頃・皆実町当時)。朝会で使われた中庭の正面に不動心の碑がみえる。碑陰には端艇部の優勝当時の選手名を刻んだ銅板がはめ込まれていたといわれる。しかし現在には伝わらず,代わりに旧東雲分校主事中野昇教授による碑の由緒書(昭和53年)が刻まれている。

  「不動心」の碑
 新教育学部の一角に3メートルほどの巨大な自然石を用いた石碑が建っている。「不動心」の碑である。
 この碑は,旧学校教育学部の前身校である広島師範学校が,創立60周年を記念して昭和9年に建てたものである。碑陰には「端艇部琵琶湖遠征記念」と刻まれ,碑が明治40年前後に勇名を馳せた同校端艇部(ボート部)の活躍をも顕彰していることがわかる。
 碑が建立される10年前,端艇部「臥虎団」はその絶頂期にあった。端艇界の甲子園ともいわれた大日本武徳会主催の端艇大競漕会では,9回出場して6回の優勝をさらうなど,その活躍ぶりは全校の誇りであったという。この時期の部員たちに広まっていた合い言葉が「不動心」であったらしい。由来については碑の建立当時の教務長數田猛雄が「戦に望んで不動心これ選手必勝の秘訣たりき」と伝えている。
 ところでこの当時,師範学校は広島市皆実町(現南区皆実町)にあった。昭和16年に学校が東雲町へ移転するのに伴い移設され,以来広島大学教育学部東雲分校,学校教育学部へと組織が変わっても,碑はグランドの片隅で東雲の校地を見守ってきた。平成7年の学部の移転に伴い,碑はついに第2の新天地,東広島市へと引っ越して現在に至っている。
 檀上正孝名誉教授の調査(『学内通信』(『広大フォーラム』の前身誌)171号,昭和53年)によれば,この碑を含め碑や記念樹などの記念物が東雲キャンパスには50点あまりあった。かつての記念物たちは今どうしているのか,故地を離れるに至った記念物の去就やいかに,などと思いをめぐらすこの頃である。   
   
(小宮山道夫)
 
50年史編集室ホームページ http://www.ipc.hiroshima-u.ac.jp/~nenshi50/

業務日誌抄録

6・21 総務課法規係より『広島大学規程集原本(平成8年度)』を借用。
 石田寛名誉教授(文)来室。
6・23 広島県立文書館より『広島県立文書館紀要』他計十七点を受贈。
6・25 ゆかたまつり。
6・26 総務部企画室より『大学改革委員会資料』他計六十八点を借用。
7・7 生物生産学部より沿革史誌類二点を受贈。
7・25 第十八回五十年史編集幹事会。
7・28 第五回五十年史編集専門委員会。
 第九回研究会(於高等教育研究開発センター)。
  報告…田中隆莊名誉教授(理・学長)
 「大学設置基準の大綱化と広島大学」
7・31 医学部・医学部附属病院より沿革史誌類六点を受贈。
8・1 工学部より『広大経工会設立二十周年 来しかたゆく末』を受贈。
 地域共同研究センターより『地域における社会的協力・連携の推進事業 報告書』を受贈。
8・3 高等教育研究開発センターより沿革史誌類3点を受贈。
8・7 研究者交流施設新営安全祈願祭を取材。
8・15 文学部より沿革史誌類八点を受贈。
8・16 原登久雄氏より森戸氏新聞記事(複写)を受贈。
9・18 総務部総務課総務係より行政文書資料八十三点を借用。
9・20〜22 神戸出張◇全国大学史資料協議会二〇〇〇年度総会・全国研究会出席。
10・24 稲賀敬二名誉教授(文)へのインタビュー調査。
10・30 門田博知名誉教授(工)へのインタビュー調査。
11・17 名古屋出張◇飯島宗一名誉教授(医・学長)へのインタビュー調査。
11・27 第十回研究会。
  報告…頼實正弘名誉教授(工・学長)
 「統合移転計画の実施と東広島地区の開校」




〈連絡先〉50年史編集室 電話 0824(24)6050 FAX 0824(24)6049
広大フォーラム32期4号 目次に戻る