よく頑張った医学部水泳部
文・ 西 亀 正 之( Nishiki, Masayuki )
医学部保健学科教授
毎年七月末から八月始めにかけて、西日本医科学生体育大会が開催される。今年は島根医科大学が主催し、第五十二回大会が山陰の地で行われた。二十種目に一万六七五○名が参加する医学生のスポーツの祭典である。
水泳の部は、南は琉球大学から、北は金沢・浜松医科大学までの三十五校、一○○○名(男五五○、女四五○名)の参加で競った。
私は七年前から水泳部の顧問として、原田康夫教授の学長就任の後を引き継いでいる。以後、本学が東広島へ移転し、広島市の霞キャンパスの医学部には運動部のグランドやプールがない(西日本では残念ながら広島大学だけではなかろうか)。廃部を免れんと五十名の部員は週二〜三回、各地区のスポーツセンターで夜間練習を行ってきた。
ある日、知人に「医学部の水泳部が近くの区民プールで練習しょうるがどしたんの」と質問された。「広島大学の医学部にはプールがないけん、金をはろうてジプシー練習よのー、迷惑かけてすみませんの」と答えると、「マナーも良いし、子どものためにもなると評判がええよ」と言われ安堵した。
このような環境なので、十分な練習量を確保できず、このハンデを補おうと、特に冬期の筋力トレーニングに力を入れたが、毎年、五〜七位どころであった。
そこで、三年前、附属東雲小・中学校のプールを六月から使用できるようお願いし、泳ぎ込みができるようになった。東雲には自転車で一○分もあれば行くことができ、放課後、時間の都合のつく部員は、各自で十分泳ぎ込むことができるようになった。ここでも、子どもへの教育上の悪影響や事故の危惧のため、断られねばよいが、と心配した。しかし、水泳部の練習態度・方法は子どもの教育によいから来年もどうぞ、とのお許しを得た。
さて、今年の水泳競技のことに戻るが、最終日の三日目に、軽い気持ちで応援にと会場に出向いた。驚いたことに、二日目を終え、二点差で京都大学と優勝争いをしているではないか。これはチャンスと檄をとばし、部員も目の色を変え頑張った。優勝争いは、最終レースの八○○メートル自由形リレーに持ち込まれた。第二泳者までに約二○メートル、京大にリードされ、やっぱり負けかとあきらめかけた。しかし、ここから大逆転が始まるのである。第三泳者の藤岡が一〇メートル差につめより、アンカー早瀬が猛烈に追い上げ、僅差の劇的な逆転を成し遂げた。同時に男子総合優勝が決定した。みんな抱き合い、うれし涙を流した。
私には四十一年前、第十一回の大阪大会で同じ場面があり、アンカーの私が追い上げたが逆転できず、二点差で悔し涙を流した苦い経験を思い出させた。このように、ハンデのあった本学学生も、今年から他の運動部も東雲の施設を使用できることになった。やっと、という感もあるが、喜ばしいことである。
わが水泳部に、ようやったと褒めるとともに心身とも健全な成長をとげ、立派な社会人・医療人になってくれるものと確信している。
"A sound mind in a sound body"だからである。
(投稿)
表彰を受ける石橋主将
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