アメリカにおける高齢者への大学開放に想う

 


 今年度から広島大学でスタートしたフェニックス入試は、六十歳以上の方を対象とするユニークな制度です。実はアメリカの大学にも、高齢者を対象とした制度があります。Learning in Retirementと呼ばれる、退職者向けの学習プログラムです。このプログラムは、本学のフェニックス入試とはかなり異なっています。けれども、フェニックス入試の今後や地域と大学の関係を考えていく上で面白いと思いますので、ここではハーバード大学の例を紹介します。
 ハーバード大学の退職者向け学習プログラムは、既に二十年以上の歴史を持ちます。九十二名の学生でスタートしたこのプログラムには、現在五二一名が登録しています。入学の資格はフルタイムの仕事から退職していることだけ、学歴や年齢による制限はいっさいありません。単位や学位の取得を目的としない継続学習プログラムですが、申請書と面接による入試があります。このプログラムを運営するのは、自主的に編成された学習グループです。だから、グループ学習に積極的に参加し議論できることが選考の基準となります。また学習スペースの関係で、登録の上限が五○○名とされており、入学基準を満たした者のうち、わずか三〜五割しか実際に入学が認められません。裏を返せば、潜在的な学習のニーズはとても高いといえます。入学者の年齢層は五十代〜九十代と幅広く、平均年齢は七十二歳、二十年以上の在籍者もいるそうです。
 学習のテーマは学習者がニーズに応じて主体的に設定することになっています。そのために、一回でなくなってしまうものも多いようですが、何年も続いているテーマもあります。この学習グループは、スタディ・グループと呼ばれています。スタディ・グループの数は、発足当初の十三から現在では五十三に増えています。テーマの数だけグループがあると考えますと、学習の内容は実に多彩です。先ほども申しましたが、グループの運営はコーディネーターを決めて、メンバー相互で自主的に行っています。そこにはグループ以外の方や有給の教員はいません。授業(この呼び方そのものが馴染みませんが)は、一週間に一回、午前あるいは午後の早い時間帯に二時間ほど開講され、一学期(十二〜十四週)の間に一〜三のコースを学習するというものです。
 ハーバード大学における退職者を対象とする学習プログラムを駆け足でみてきました。その特徴を一言で表現しますと、大学が「学習の場」を提供している、ということです。ではなぜ既存のカリキュラムがない、そして教壇に大学教員の姿のない「場」に人が集うのでしょうか。それは、ここでいう「学習の場」が、単に箱としての教室ではなく、教室の設備や図書館の蔵書、そこに行き交う人々、さらにはキャンパスが持つ学問的な雰囲気も含んだ「場」だからだと思います。同じような学習プログラムが、果たして大学以外の「場」でも可能でしょうか。
 フェニックスで入学される方はもちろん、本学の提供する授業に期待されています。私たちはその期待に応えなくてはなりません。しかし、それだけでしょうか。最近企業の世界では、トータル・ソリューションという言葉を耳にします。製品だけを売るのではなく、製品に付随する諸サービス(計画・導入・管理・評価)をトータルに売るという考え方だと理解しています。現在、大学教育にもこのトータル・ソリューションが求められています。実現にはもう少し時間がかかると思いますが、その視点の一つに「学習の場」を加えてみてはどうでしょうか。私たちは物理的な意味を越えた大学のキャンパスというものをどの程度気に留めたことがあるでしょうか。いわゆるIT革命は、遠隔教育に大きな可能性を開きましたし、その意義を否定するつもりはありません。けれども、学習者が主体的であれば「学習の場」というものは全く関係ないのでしょうか。フェニックス制度の将来を考えるヒント、あるいは大学教育改革のヒントは、案外そんなところにあるのかもしれません。


小方 直幸        
 ◇高等教育研究開発センター助教授
 ◇専門:高等教育論(大学教育の職業的レリバンスに関する研究)




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